ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

漢訳仏典の父・クラマジーバのふるさとクチャ

2010年08月21日 | 中国(4)烏市→喀什
「クマラジーバ」という人物をご存知だろうか。

時は4世紀。彼は現在の中国・クチャにあった「亀茲(きじ)」という国の王子様として生まれる。しかし、彼はわずか6歳で母に連れられ仏教の本場・インドへ仏学の旅に出る(どんだけスパルタな教育ママなんだ)。後に亀茲国は滅びてしまうが、彼は相手側の王朝に手厚く迎え入れられ、晩年は長安で仏典の翻訳をして過ごした。彼が仏典を漢訳したことで、仏教は中国の人々に受け入れられ、やがて日本へと浸透していく。(仏教はインド伝来なので原典はサンスクリット語。元々漢字だったわけじゃありません!)

そして21世紀の今、日本人が読んでいるお経の多くは、未だに彼がサンスクリット語から漢語に翻訳したものが多く含まれている。あるいは、後に玄奘(俗に言う三蔵法師)らによって訳し直しされたものもあるが、クマラジーバがそれらに影響を与えたパイオニアだったことには変わりはない。

ちなみに「三蔵法師」とは、佛典の経、律、論、この全3種類に精通した僧にのみ与えられる尊称とのこと。もちろんクラマジーバもこれに該当。したがって、「三蔵法師」は玄奘の別名というわけではないので、念のため。


10世紀までは仏教の国だったクチャの街は、現在イスラム教徒であるウイグル人の町になっている。


○街の一角に立つ庫車大寺。


○礼拝堂は木造建築






○ウイグル人のバザール。クチャのナンはデカいことで知られる


○亀茲国の城壁

亀茲国を偲ばせるものは今、この崩れかかった城壁と郊外に点在する石窟位しかない。その石窟も、イスラム教徒による破壊に遭い、顔の部分が徹底的にえぐられている。

郊外のクズル千仏堂の中に、飛天が琵琶を奏でる岩絵があるという。遠すぎて見にいけなかったが、そこに描かれているのは奈良の正倉院に保存されている琵琶とそっくりなんだと。こんなとんでもない中国の奥地から、仏教以外にも様々なモノが西へ東へと運ばれていった。


さて、いま世紀を超えて彼らの辿った道を自転車で走るが、単調な沙漠は辛くて私には仏門の境地はおろか、暑い、喉乾いた、疲れる、次の村にはいつ着くか?今夜は何食うか?、んでどこで寝るか?等々雑念ばかりが沸き起こる。昔の旅人は偉大だ。…でも、馬上で翻訳していたわけでもないから、やっぱり似たようなこと考えてたのでは?




最近はパスポートを見せないと日本人だと信じてもらえない。おいおい。
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