ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

噂の中国・下等列車の乗客になる(1)

2010年08月14日 | 中国(4)烏市→喀什
再度暇ネタ…というか、自転車旅の合間の汽車旅です。
中国の列車環境の悪名は高いですが、まさに異文化です。
文章長いですが楽しめそうな方はどうぞ。

(※携帯電話から閲覧されている方へ)
文章の構造…改行位置を変えてみました。これまでと今回、どちらが読みやすいかコメントくださると助かります。自分で携帯の画面にどう表示されているか確認できないので、よろしくお願いします。



8月9日。7556次、普客(各駅停車)カシュガル行きは10時45分、ほぼ定刻どおりにウルムチ駅を出発した。
硬座と呼ばれる座席は日本で言う普通車(グリーン車は軟座)。一昔前の鈍行に多かったボックス席に近い固さと広さのイスが、2階建の車両にぎっしり並ぶ。下車駅のコルラまではちょうど600km。これは東京・大阪間を超える距離。じっくり14時間をかけて走る。


○写真撮影は原則禁止(現地人は撮ってる)なので少ないです。悪しからず…

自分にあてがわれた6人がけボックス席は、ウイグル人の家族で埋まった。皆カシュガルまで行くと言う。日本の汽車旅ではありえない、30時間を超える長旅だ。硬座の乗客は9割方ウイグル人だった。カシュガルまでは、飛行機、バスや急行列車もある。それぞれ、半日以上早いのだがそれなりに高くつく。この普客の硬座の値段は、現在存在するあらゆるの移動手段の中で最も安いのだ。
(ちなみにコルラまで59元=約800円)


動き出した車内は早速騒々しい。案内放送はなぜか音楽(しかも歌謡曲)付き。そして喧嘩。漢族の女性車掌とウイグル人が激しく言い合っている。荷物の置き場でもめてるみたいだ。他の乗客は涼しい顔で昼飯の準備を始める。みんなインスタント麺を持ち込んでいる。車内販売もカップ麺ばかり。私は買っておいたパンをかじる。

2時間半ほど経過した。最初はみんなお行儀よく座っていたのだが、だんだんダラダラモードになってくる。乗客は他人の座席に向かって足を投げ出したり、無意味に車内を徘徊したり。子供も落ち着かない。トルファンに着くと列車は早くも40分以上遅れている。コルラは遠い。カシュガルには一体いつ着くんだろう。


○中国では鉄道のことを「火車(ホーチャ)」といいます。

さて、途中駅のトルファン~コルラ間は、南疆線(南疆鉄道とも。トルファン~カシュガル)の中で最も早く開通した区間。その模様はNHKの「シルクロード」でもわざわざ一回分の時間を割いて紹介された。当時の終着駅コルラは今も中国の一大石油供給地。故にこの鉄道は政府の悲願でもあった。

そして何より特筆すべきは沿線風景の美しさ。万年雪をいただいた天山を貫くこの区間は、緑の草原に覆われた大地を、遊牧民と羊に囲まれながら行く。最高地点は標高3000m以上。ループ線やS字線を駆使してじわじわ登る。スイスの登山鉄道に全く引けを取らないスケールだ。

しかし開通から40年を経た今、中国の鉄道敷設技術は格段に進歩し、この区間は新たに新幹線を通せる新線に置き換えられようとしている。しかも、そのルートは今の線路よりはるか東の岩山を貫き、長い沙漠区間に出るのである。自転車で走っているとき、単調な風景のなか延々続く路盤を見ながら、南疆線に乗るなら今のうちか、と心に決めた。
かくして、中々治らない風邪の治療を口実に、南疆線に乗る小旅行に出かけたのだった。


出発から4時間が経過。列車はトルファン盆地の砂漠の中を進む。
前の席でおじさんがアカペラで熱唱している。本気だ。すばらしい声量。どこかさみしげなメロディに切なくなるが、はた迷惑と紙一重。
一緒の席にいた男の子は疲れたみたいで、椅子の下の床に布を敷いて寝てしまった。
漢族の人は相変わらず食い物の破片やゴミを床に投げ捨てる。
隣のおばあさんは、いきなり座席に突っ伏してアッラーに祈り始めた。
トランプに興じる者あれば、英語の勉強に精を出す学生もいる。
そしてどこからともなく「食え!」と瓜が回ってくる。

車内放送は最初はしっかりしてたけど、気付いたらグダグダになっていた。
音楽かけるのはいいが、CDの音はとびまくり。騒音にしかなってない。
たまに車掌が掃除に来る。その度にどっかで誰かと言い合いだ。
この路線に「世界の車窓から」の優雅なテーマ音楽は似合わない。
(つづく)


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中国で見る、日本にあるお菓子

2010年08月12日 | 中国(4)烏市→喀什
私、風邪と下痢のループ症状に見舞われており、
今月は未だに4日しか走れておりません。

したがいまして、急遽、ヒマネタ。
日本にあるお菓子…といっても、和菓子とかじゃなく、
その辺のスーパーで見かけたもののうち、実際に食べた
ものだけです。
苦心したのかしてないのか、漢字の当て方は見てて楽しく、
そして苦しいです(笑)では、どうぞ。



ロッテのチョコパイ。
ロッテはちゃんと現地企業として進出し、ガムなんか割と見かけます。
でも、ボトル型ばかり。小さい板ガムは死ぬほど安い(3元以下)のが大量に
出回ってるので勝てないのでょう。


コアラのマーチ。
これもロッテ。しかし小熊餅って。カプチーノ味とか、イチゴ味とかもありました。
ただし、実際に食べられているのは見たことがない。
ちなみに、「ロッテ」の現地法人の名前は「楽天」。


メントス。
お徳用であること以外、何の変哲もないただのメントスです。


ビスケットのオレオ。
なんか帰化したサッカー選手みたい。
お味のほうは…甘っ!…って、日本でもあまり食べないので(高いので)
こんなもんか?(当然こっちでも高い)


こんなんもあるんですね!…ん?
おっとっと、これはただのパクリ商品でした。


ちなみにこの好麗友社、きのこの山もパクってました。
こんなの氷山の一角なんだろうなぁ…。


最後に、お菓子じゃないけどペプシコーラ。
読むと「バイシークールァー」。
「全ての事が楽しくなる」っておクスリの様な触れ込みですが、
ちゃんと浸透してます。対するコーク=コカ(可口)コーラは中国市場
完全に出遅れてますね。


なんだかんだで、中国の人は日本の「モノ」は好きです。
中国製のものでも、パッケージにむちゃくちゃな日本語を書いてたりします。
誰も読めないので内容はともかく、日本のものっていうと何となく高級感を
覚えるのでしょうか。

お菓子は競争相手も多くあまり浸透していませんが、化粧品はやはり
絶大なパワーを誇っています。日本ブランドの洗顔フォームなんか
日本と同じか、日本のドラッグストアより高いくらいです。
それでも結構買ってる人見ます。但し、これは都市部に限った話。



○おまけ…このアイス、えらく斬新なパッケージやなーと思って買ったら


○切る場所が変なだけだった。
 棒の付いてる位置もズレてる気がする。
 でも文句は言えない。5毛(約8円)だから。


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アースマラソンとユーラシアの“風邪”

2010年08月10日 | 中国(4)烏市→喀什
トルファン盆地からトクスン、エンギ経由で走ってきました。



そして3日前、南部新疆の玄関口、コルラに着きました。
ウルムチでひいた風邪がなかなか治らず、滞在が延びています。


さて、今日はひとつ残念なお知らせがあります。

間寛平さんのアースマラソンとルートがズレてしまいました。
よって今後彼と出会うことはありません。

だからなんだって話なんだけど、旅立ち前、結構いろんな人に
会えるんちゃう?とか、2秒くらいテレビ出れるやろとか言われてたので、
残念ですが報告しておきます。


実際、会おうと思ったら会えたとは思います。
このでかい地球上で、半径1000km以内には近づいていました。

正直、色々思ってしまいます。
彼と会ったら、かなりのインパクトだろうなとか、
彼がツィッターで私のことをつぶやいたら、ブログランキングも
ガツンと上がっちゃうんだろうなとか、
そういうスケベ心がつい働きます。人間だもの。

でも、別に私は寛平さんに感化されたわけでもないし、
彼が旅に出なくとも私は旅に出ていたし、
だからわざわざ彼に会いに行くために当初の計画ルートを曲げるのはどうか。
大体、会ったとき何をどうコメントするよ?
仲間ですねーなんて言うのはおこがましいくらい彼の旅のスケールはでかく、
かといってこっちは一人っきりでガイド無し、通訳無し、伴走無し、資金僅少って
ところに若干のプライドがないでもない。
だから意図して何かの力を借りて目立つのはどうも違う気がするし、
大体そんな気持ちが少しでも芽生えてしまった以上、会いに行くのは失礼ですよね。


でも、ちょっと会いたかったなぁ…。
ウルムチで一緒だった旅夫婦がカザフスタンで彼と会ってますので、
その模様をご覧ください↓
地球に遊びに行ってきます

よかったら、寛平さんと二人の旅も応援してください。



○風庫に向かったばっかりに越えることになった峠。
 標高差1600m。50kmの坂。下りなら1時間強。
 登るのは一日仕事です。箱根なんて可愛いもんだ。




○岩と砂の乾いた回廊が続く。ここを走って登ったら全員山の神だ。
 高度の変化とともに気温の変化もすさまじい。
 おかげで今回の風邪にはとても手こずっています…。


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日本人サイクリストの習性

2010年08月09日 | 中国(4)烏市→喀什
日本人旅行者には「チャリダー」の呼称がより一般的でしょうか。
その特徴を挙げるとするならば…?
いろんな人がこのテーマを書いているが、大方この意見に集約されるかと。

1.大陸横断・縦断にこだわる
2.目標として数値を掲げる(距離、経由国数など)
3.ゴール地点は地図の端っこ(岬とか)
4.可能な限り全行程自転車走行を目指す

で、私に当てはめますと…
1→はい。テーマですから。
2→これはあまり…算数は苦手ですから。
3→はい。岬は旅を強制終了させてくれますから。
4→ええ。でも…トルファンからバスに…。


…というわけで、リベンジしにきました風庫。



100km以上の遠回り。南山牧場という見所も落とした。
別に誰も喜ばないけど、そのままでは進めなかった。

バスに乗ると言う行為が、どうしても反則っぽく思えてしまう。
妙に後ろめたい。なんか負けた気がする。
真面目なのか。いや、単に几帳面なだけなのか。
一度決めたことはやる。とことんやる。できるまでやる。


ちなみに欧米人なんかバスやら飛行機やら乗りまくってますけど。
「中央アジア?パミール高原だけ走れりゃいいじゃん」みたいに。
でも、ハイライトだけつまみ食いじゃ自転車旅の意味ないじゃない!
とか言いながら、単調な砂漠を行きハイライトを落としていく…

これはきっと日本人の休暇制度とか島国根性が複雑に
絡み合ったが故の、ある種の「習性」なのだと思う。
そう。制度としてのバカンスがない私たちに「次」はないから。
島しか知らない身体に、大陸というモノの大きさを刻みつけたいから。
これは、きっと「地図の端っこ」に生まれた人間の魂なのだ。
やってやる!大和魂。


当然、一概には言えないので、こんな原則全く関係ない人も大勢います。
というか、ここが意外だと思いますが、「大勢」います。
日本人サイクリスト。もしくは、チャリダー。


(補足)
「チャリダー」の語源ってなんなんでしょうね。
バイクのライダー、クルマのドライバーに対する、チャリダーかな?やっぱり。
そういえば夏の北海道ではトホダー(徒歩旅行者)とか
ジェイアーラー(JR線利用者)なんてのもいたけど。
ちなみにリヤカーの人はリヤカーマン(いるんですよ、本当に)。
なんか正義の見方っぽくてカッコいい。
世界的に通用するのはやはり英語のサイクリスト。
だから記事名も「日本人サイクリスト」にしときました。



○ウイグル人サイクリスト
 …っつーよりやっぱ「ウイグル人チャリダー」なのかな?


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ウルムチ…入り乱れる民族、言葉、息遣い

2010年08月08日 | 中国(3)西寧→烏市
ウルムチは不思議な街だと思う。
毎日宿の前からバスに乗り、北から南へと街を縦断していた。

北側は新しく整然とした街区が続く漢族の居住区。
官公庁や新しいホテル、オフィスビルが立ち並ぶ近代的な都市。
間にのぞく街並みには見慣れた漢字があふれる。


○あちこちにある漢族の大好きなイルミネーション。
 毎日がクリスマス前のようだ。

南側は再開発が進むウイグル族たちの居住区。
イスラム教のモスクやバザール、集合住宅のたたずまいにも、
どことなくイスラム色を感じる。看板も、アラビア文字が大書きされ、
まるでルビ(読み仮名)を振るように漢字が添えてある。
道路に面した商店の軒先で売ってるものも、ナンや葡萄、
カバブ(羊肉の串焼き)などが多い。
バスの窓から、独特の香辛料の香りが吹きぬける。


○二道橋近くのモスク


○国際大バザール。
 建物の中にはドライフルーツや民族衣装が溢れる。
 かと思いきやカルフールとかケンタッキーが入ってたりする。
 そこへ国内外の観光客がなだれ込む。カオスだ。


市の中心部、南門を過ぎる頃、バスの乗客は一気に入れ替わる。
見慣れたアジア系の漢族から、ほりの深い中東系のウイグル人へ。
その変化が鮮やかで極端で、何度体験してもゾクゾクする。


○街角のアコーディオンの音色には、はるかロシアを感じる。


ウルムチの町には、日本料理店が二つもあった。
「平政(ひらまさ)」と「江戸の櫻」。

何も旅に出てまで日本食なんて…と思うかもしれないが、
約3ヶ月ぶりの日本食に舌鼓。これは素直に嬉しかった。
店長さんと中国をネタに他愛のない日本語会話。和む…。
何度か通ってしまった。


○照り焼き丼定食。
 刺身や寿司以外にも、カレーとか焼き鳥とか色々ありました。
 これ全部「清真菜」にアレンジされてます。
 イスラム教徒が多い土地なので、豚をはじめ使っちゃいけない食材が
 色々あり、全て配慮されているのです。大変な労力です。


毎日曇ってばかりだが、雨が降るわけでもない。
気温も低く、25度を超えない日も。
これはトルファン盆地の灼熱のアスファルト上の半分。

カルフールにはうんざりするほどモノがあふれ、
宿のトイレは水洗で美しく、水圧も充分。
衛生的で、便利で、快適。
日本と大して変わらない生活に、つい腰も重くなります。

その「生活の落差」が、現代中国を悩ます「格差」なのですが。


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ラグメンのおかわり自由は本当なのか

2010年08月06日 | 中国(3)西寧→烏市
今回は、新疆のちょっと変わった事情をご紹介。


【新疆時間】

中国では北京時間を標準時にしている。
したがって、日本との時差は-1時間。
しかし、もう北京から5000kmも走っている。
だから経度もそれなりにずれ、最近は夜10時頃まで明るい。
聞くと中国最西端のカシュガルは11時でも明るいらしい。
逆に冬は朝8時でも暗いとか…。

これではあまりにも生活に不便だということで、新疆では非公式で
新疆時間(北京時間-2時間)が存在するらしい。


○カルフール(家楽福)は北京時間。

これ本当にややこしくて、誰かと約束すると、いちいちどっちの時間の
何時なのか確認しなくちゃいけない。

ちなみに宿の時計は北京時間。朝8時でもロビーはひっそりしている。
他の都市では朝早くからやってる小さな商店群も、10時を過ぎる頃やっと始まる。
かといって夜は夜で北京時間7時にもなればさっさと店じまい。
なんかちょっとずるい気がする…。
宿の消灯は1時(新疆23時)。まだみんな起きている。

ちなみに、同じ大国でもアメリカやロシアはちゃんと地域ごとに時差を
設けているようだ。


【ウイグル人とウイグル語(現代ウイグル語)】



省名になっているウイグル人は、もともとこの地域に住んでいた
アラビア系の先住民と、トルコ系遊牧民が混血し、オアシスに
定住するようになったグループが起源とされる。人口約1000万人。
中国だけでなく、中央アジア一帯に住んでおり、ウズベキスタンや
カザフスタンにも暮らしている。

現在イスラム教を信仰しているが、昔は仏教徒だったこともある。
ちなみに、ウイグルという言葉には、団結・連合の意味があるとのこと。

彼らの使う言葉は、ウイグル語。
中国では、少数民族が自らの言語を使うことを公式に認めているので、
新疆の看板類はほとんど漢語とウイグル語が併記されている。


○かと思いきや、アイス屋さんのメニューはウイグル語のみ。
 お手上げです。勘で注文。
 もうここは中国ではないと思える。

不思議なのは、中国のウイグル人は「アラビア文字」を使って文字を書くのに対し、
他の中央アジア諸国のウイグル人は「キリル文字」を使って書くということ。
これは旧ソビエトの支配下にあった中央アジア側で、キリル文字を用いた正書法が
強制されたために起きた現象なんだとか。

中国とソ連。たった200年前に引かれたに過ぎない国境と言う名の線の間で
翻弄される、砂漠の民だ。




【ラグメン】

シルクロードを旅した人なら誰もが食べるであろう「ラグメン」。
漢語では拌面(バンミェン)と書く。

牛肉や羊肉とネギ、トマト、ニンニクなどを沢山の香辛料とともに炒めて、
それを強いコシのある面にかけて食べるものだが、これがなんとも言えず
美味しい。店ごとにかなり味が異なるが、はずれたためしがない。
さらに、店によっては具も色々選べる。



さて、ラグメンは写真のとおり具と面が別々にして出される。
最初この意味がよく分からなかったが、星星峡の兄さんたちが教えてくれた
ところによると、「具は一回きりだが麺は食べ放題」なのだそうだ。
試しに一度面ばっか先に食べておかわりのアピールをしたら、当然のように
追加してくれた。値段は変わらず。ラグメンは他の面に比べると少し割高
なのだが、これでうなずける。

ちなみに、あとで詳しい日本人に聞いたら、二杯目までが無料という見解。
しかし、なんだかんだでここは中国。最初の面がすでに充分大量だったり
するわけなのだが…。お試しあれ。


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ウルムチの街は今日も平和?

2010年08月04日 | 中国(3)西寧→烏市
「ウルムチ」は、モンゴル語で「よき牧場」を意味する。
が、今では高層ビルが林立する人口200万の大都会。新疆の首府だ。
ここは世界で海から最も遠い都としても有名。


○紅山公園からの眺め

看板にはウイグル語が併記され、色鮮やかなスカーフで頭を覆った
女性が歩く。ウイグル人の顔はほりが深く、漢人や日本人とは
明らかに異なる。
新疆に入ってから、人種のグラデーションは思いのほか早く進んでいる。

ユースホステルに泊まったが、多い日にはなんと日本人が6人も集結して、
連日みんなで外出した。



博物館で楼蘭美女と称される3000年前のミイラを見たり、
ロシア人居住地域でボルシチを食べたり、
ウイグル人レストランでイスラム料理の大盆鶏を食べたり、
同じくウイグル人の店でアイスを食べたり。
…食べてばっかり。

メンバーはカザフスタンとウルムチでお仕事をしているおじさん。
世界一周旅行中の夫婦。
夏休みを使って杭州から来た留学生。
仕事と住居があるフランスまで陸路で帰る青年などなど。

人生色々。旅のスタイルも色々。
日本にいたら絶対会うことのない人たちなんだろうなぁ。


○大盆鶏。
 一人では絶対頼めない大皿の料理が食べられるのは嬉しい。


暴動から一年がたったウルムチは、今では平静を取り戻している。
しかし、ウイグル人の多い地域を歩けば、銃を抱えた武装警官や
公安の姿が未だ目に付く。

日本人経営のバーでは、店内でも漢族とウイグル族のけんかはしょっちゅうだと
聞かされる。対立は根深い…。

日本人は、この対立軸から漏れるので、どちらの民族にも親切にしてもらえる。
外国人と分かると、まず「韓国人?」と聞かれて、「日本人」と答えると
突然笑顔がこぼれ、握手を求められる。
好かれてるなー、日本人。


○二道橋市場付近のウイグル人街


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シルクロード・バスの旅

2010年08月02日 | 中国(3)西寧→烏市
トルファンからウルムチへは約180km。
都市間バスが20分に1本と頻発している。

バスターミナルの切符売り場は、うわさには聞いていたが
並ばない、横入りし放題の無秩序な乗客の塊が張り付いている。
そこを何とかおしのけ、メモを見せると切符はすんなり売ってもらえた。

問題は手荷物。何しろフル装備の自転車だ。
そう簡単にはいかないだろうと身構える。
最初のX線検査はデカ過ぎて機械に入らんとゴリ押し。無事通過。
バスへの積み込みはまず運転手が拒否。
しかし、ここは中国。決して諦めてはいけない。
こいつと一緒じゃなきゃ困るだの、場所はあるんだから何とか積んでくれだの
主張してみるが、そうこうしてる間にトランクは他の乗客の荷物で一杯に
なってしまった。

その様子を見ていたチェコ人の旅行客が力を貸してくれる。
バックパッカーの彼もカタコトの中国語でなんとかするように頼んでくれる。
すると、少し偉い感じの女性が出てきて、次のバスの運転手に交渉してくれた。
運転手は最初嫌がっていたが、最終的には追加料金30元を払うことで合意。
チケットも次の便に振り替えられ、その辺の人たちと協力しながら自転車を
トランクに押し込む。


○自転車の積み込みが終わると、一般の人の荷物を詰める。


○車両は国産・金龍客車製。


午前10時45分。バスは定刻にトルファンターミナルを出発した。

一時間後、昨日進行を断念した風庫に差し掛かる。
案の定ものすごい横風で、バスもまっすぐには走れない。
途中の道路案内の鉄製青看板がぐにゃりと曲がっていた。
昨日通ったときは普通だったのに。
どんだけ風強いねん!


○風庫。このあたりの道の下で一夜を明かした。
 風力発電のプロペラが見えるだろうか。
 ここは内陸では中国最大の風力発電所。現在拡張中で、目標200万kwだそう。
 ちなみに日本最大の福島県・布引高原風力発電所の出力は6.6万kwです。
 とにかく何でも規模がでかい中国…。


途中で雨が降り出し、ワイパーをかける。しかし、開いたワイパーがあまりの
風圧で戻らない。そんなのってありか。運転手は舌打ちしながら、無視して走る。
途中で客扱いしたときも、風に押されて自動ドアが動かなかった。

正直、バスにして本当に良かった。記録より命が大事。
無理やり進んでたら、多分空飛んだ(舞った?)と思う。


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ゲリラ暴風

2010年08月01日 | 中国(3)西寧→烏市
トルファンから西へ50km。
谷底に風力発電のプロペラが林立している。
ここは地元で「風庫」と呼ばれる強風地帯。


夕方風庫に差し掛かかると、北西からの強い横風が吹き荒れている。
これはやや向かい風。まだまだ頑張れば進めんでもない程度だった。
しかし、日が傾くにしたがって、そして谷底に近づくにつれ、
風は激しさを増してきた。
一時間で5kmも進めない。というか、もう歩いて押すことも、立つことすらできない
レベルにまでなってきた。

午後9時を回り、間もなく日没。
この時点で、路肩にうずくまり全く身動きが取れない状態に陥っていた。
次の集落までまだ30km以上。宿を諦め、姿勢を低くして何とか自転車を引きずり
橋の下で風が変わるのを待つことにした。

暗くなっても全く風は収まらない。
この風も、日中焼かれた砂漠の上を渡ってくるので熱風そのもの。
当たってるだけで体力を消耗する。
自転車の陰に隠れて時が過ぎるのをひたすら待った。


翌朝。風はむしろ強くなる一方。
どうにか進むか、戻るか。考えに考えあぐねてとりあえず道路に戻ろうとした。
朝の気温の低い(といっても30℃はある)、そして交通量の少ないうちに動きたい。

しかし、台風のような凶暴な風は、経験したことのないレベルに達していた。
進めない。歩けない。立てない。
呆然としていると、突風でメガネが飛ばされた。
道路わきの砂利の中で吹っ飛んだメガネを探しながら、
心の中で何かが折れた音がした。


爆風に背中を押され、何度も横倒しになりながらトルファンを目指した。
昨日半日以上かけてきた道を、わずか2時間で戻ってきてしまった。
その足で、バスターミナルへ向かった。
ユーラシア大陸横断・自転車一筆書きの夢が潰えた瞬間だった。





○トルファン交河古城。
 地中に掘り進めてできた2000年前の街。
 壁や通路が残り、当時の面影をとどめる。


○火焔山
 西遊記に出てくる「火焔山」のモデルとなった地。
 孫悟空は燃え盛る炎の山々を芭蕉扇で扇いで鎮めた。
 ここトルファン盆地は「火州」と呼ばれ、連日最高気温は45℃近い。
 海から4000kmも離れているのに、標高は最も低いところで海面下154m。
 中国で最も暑いと称される地域だ。


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