浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

今日いち-2024年8月31日

2024-08-31 21:38:52 | お知らせ
今年の5月に種を巻いて、毎日大事に世話をしていた桔梗が今日初めて咲きました。やっぱり種から育て咲いてくれた時は嬉しいです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界で1番自分が大事

2024-08-31 21:37:00 | お知らせ
浄土真宗の救いは、阿弥陀如来にお任せする救いであります。正信偈の最初の二行に、親鸞聖人がお示しくださっている通りであります。私が、先に「お任せします」と言うのではなくて、阿弥陀如来から先に、「必ず救うから任せろ」とおっしゃってくださっていますから、「お任せします」となるのです。私が先だったら、「お願いします」という意味になります。人間と人間の関係でも、「私に任せて」と言われることがありますが、信用できない、信頼できない方に、「任せて」と言われても任せられないのです。しかし、この人に、もし騙されても、自分は決して後悔しない。そういう人間関係であれば、私に任せてと言われたら、素直にお任せしますとなるのが、人間関係の面白みであります。そういう友人や知人をお持ちの方、とても幸せな人生であります。それはお金では買えないものであります。浄土真宗の救いには、お願いしますは、必要ないのであります。いつでも仏が先に、はたらいてくださるからであります。浄土真宗の法話を聞けば、皆さん長生きできます、現世で長生きできるだけじゃない。無量寿の命の仏と成らせていただくのであります。長生きするには、ストレスがないのが1番。その原因は、自分以外にあると思っておられると思います。しかし、ストレスを生み出しているの自分です。すべての出来事に対して、ストレスに感じる人もいれば、ストレスに感じない人もいるのであります。ストレスの最大の原因は執着であります。この執着が死ぬまで、私たちから抜けることがないのです。しかし、法話を聞かせていただくと、ストレスの原因が自分にあるとわかれば、その執着を少しずつでも、少なくしていけば良いのです。全部なくす事は無理でありますが、ストレスの原因は全部自分であると言うことがわかれば、人生は変わるのであります。1番の執着は、自分が世界で1番大事だと言うことであります。そしてそれは自分だけではなく、他人も同じだと言うことであります。だからお互い争いになるのであります。お互い執着が少なくなれば争い事も減るのであります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日いち-2024年8月30日

2024-08-30 22:01:37 | お知らせ
本日の法話に出てきた、9字名号の掛け軸

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不可思議

2024-08-30 21:58:00 | お知らせ
今日は朝から、滝のような雨が降り続き、誰1人お参りがいらっしゃいませんでした。駐車場も半分水につかりました。今日はさすがに、カッパを着ても、草むしりをする気にはなれませんでした。
今回の台風は、今までの常識とは違う台風だと専門家の方がコメントされていましたが、自然は、人間の常識をはるかに超えてくるんだなぁと思いました。南無阿弥陀仏を浄土真宗では6字名号といいます。また、南無不可思議光如来を9字名号と申します。どちらも同じ意味で、南無阿弥陀仏のはたらきを示したのが、9字名号であります。阿弥陀如来は、私たちの思いや常識を超えた仏様という意味です。仏様は、そもそも目には見えませんから、私たちの思いや常識は通用しないのであります。なぜ、南無阿弥陀仏を称えると、極楽浄土に生まれることができるのか、仏となれるのか、それを悟った方が、お釈迦さまです。人間で、ただお一人です。次にこの世に出現する仏は、56億7000万年後に誕生する弥勒菩薩であります。それまでは、偽物が出現するのであります。私たちの思いを超えているからこそ、仏様なのであります。それ以外の人間は誰もわからないのです。わかったふりをしてるだけであります。宗教の世界は、私たちの思いや常識など全く通用しない世界であります。だからこそ、私たちは救われるのです。私たちの考えや思いで理解できるんであれば、お釈迦様は誕生されなかったのです。お釈迦様がこの世に誕生した理由、ひとえに阿弥陀如来の救いを説くためであります。親鸞聖人はお釈迦様の教えをいただいて、南無阿弥陀仏のいわれ、本当の意味を、ただ聞きなさいとお示し下さるのです。南無阿弥陀仏は、私があなたを救うから、我に任せてよとのお呼び声であります。理解しなさいとか、考えなさいとか、もっと勉強しなさいとか、そのような条件は一切出されないのであります。出されても私たちには、通用しないのであります。ですから、阿弥陀如来の別名を、不可思議光如来と申し上げるのであります。光は、目には見えませんが、植物も人間も光によって育てられるのであります。阿弥陀如来のはたらきは、常に私たちに届いています。最初は、阿弥陀如来の教えなど聞かなかった方が、いつの間にか、お寺に参りし法話を聞くようになったり、お念仏を称えるようになるのはなぜでしょうか?それこそ、阿弥陀如来の光明のはたらきが私たちを、お浄土へと導いてくださるのです。今まで、仏様など信じてなかった人が、お墓参りもしなかった人が、お仏壇にお参りすることもなかった方が、いつの間にか、仏様の道へと育てられるのは、阿弥陀如来のはたらきと、亡き方が仏さまとなってはたらいてくださっているからであります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日いち-2024年8月29日

2024-08-29 20:18:37 | お知らせ
今日は母の命日でした。兄弟で本堂でお勤めをした後、法徳寺歴代住職 寺族の墓へお参りをさせていただきました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする