浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

他人への思いやりも大事ですが・・・

2023-07-31 19:45:03 | 日記

今日は、午前中、遠方の霊園さんへのお参りでした。今日は、お墓の前でのご納骨でしたが、喪主さまが、パラソルを用意して下さっていたので助かりました。もちろん、霊園さんでパラソル用意は有料です。昨日、ブログで書きましたとおり、僧侶は、炎天下での、読経でも慣れていますから、熱中症にはなりません。でも、お参りの方は、喪服を着ていて、特に、高齢の方は、危険です。どうか、無理せず、日傘をさしたり、パラソルを用意されて法事をなさってください。今日は、川崎市の霊園だったのですが、昔、よくお世話になったお寺さんの近くでしたので、とても、懐かしく感じました。久しぶりに寄りたかったのですが、昼時になってしまったので、諦めて帰りました。私は、20代の頃、いろいろなお寺さんに、訪問してました。そして、これは、いいなと思うところを、真似させて頂きました。掲示板を見て、こんな行事はいいなとか、この掲示板の言葉、真似させてもらおうとか、私の聞いてみたい、布教使の先生が来ると聞いては、お願いして、法話会や行事に参加させて頂きました。それが、とても、よい、勉強になりました。午後からは、昨日届いたばかりの、電動ノコギリを早速試してみますと、ノコギリで切るのとは段違いに仕事がはかどりました。もっと、早く買えば良かったと思いました。夕方になって、昨日とは違い、何だか、風が涼しく感じました。今日で、7月も終わり、明日からは8月になります。今晩は、久しぶりに雨が降る予報です、これで、境内の植物も少し元気になってくれそうです。私は、夏は好きな季節なのです、逆に、冬の方が苦手です。それは、たぶん、太陽の光を浴びて汗をかいて、精神的に気分が安定しているからなのです。しかし、これが、秋から冬に変わる頃が苦手なのです。気分的に不安定になり、気分が落ち込みやすくなります。それは、私だけではなく、昨日、友人と話していましたら、同じことを言ってました。一年中、安定していれば一番良いのですが、生きていれば、なかなかそうはいきません。人間だれしも、落ち込んだり、気分が良かったりします。私は、本を読んで、人生は、すべて、気分に左右されることを、知りました。景気もそうです、気分は、大事なのです。すべてとは、大袈裟なようですが、皆さんいかがですか、同じ悩みでも、気分が良いと、その悩みは小さく思えませんか?逆に、気分が落ち込んでいるときは、その悩みは大きく思えませんか?だからこそ、人生を幸せに生きるには、出来るだけ、自分を上機嫌の状態にしておくことが大切なのです。当たり前のことですが、気分が落ち込んでいる時、必ず、気分が落ち込むことを考えています。逆に、気分が良い時は、気分が良くなることを考えているはずです。それには、毎日、何か、小さなことでもよいので、楽しみを見つけてみてはいかがでしょうか。お風呂上りに、毎日、好きな飲み物をのみながら、ドラマを観るとか、好きな花を育てるとか、ささいなことで、気分はがらりと変わります。また、出来るだけ、嫌なことはやめましょう。気がすすまないことはやめましょう。断りましょう。そして、断ったことで、罪悪感を感じてしまうのもやめましょう。相手は、断ったことを気になどしていません。それくらいで、途切れてしまう関係なら、最初から付き合う必要のない方です。私たちは、周りの人を大切にしよう、周りに迷惑をかけないようにしようと、学校で教わってきませんでしたか?でも、その前に、もっと大事なことは、自分を大切にしましょうということです。それが、最優先じゃないでしょうか。周りに気を使い、自分の言動に対して、後から、罪悪感を感じる方は、少し、わがままなくらいでちょうどよい、人に少しくらい恨まれるくらいでちょうどよいのです。私もいつも、後から、そんな、罪悪感や反省を、自分で勝手にしています。きっと、相手は、何も感じていないのにです。また、夕方、境内を散歩しながら、写真の撮りました。今日は、果物編です。

イチジク

アケビ

ぶどう

バナナ

ナツメ



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仏様の存在理由

2023-07-29 21:45:00 | 法話

本日は、お寺の法事が一件だけでしたが、霊園さんのご法事が、5件ございました。最近、お寺でも法事の後に、会食をされる方が増えてきました。大変、嬉しいです。コロナが流行する前、お寺で、会食を希望される方がとても多く、会場を、リニューアルしたのですが、その工事が終わったとたんに、コロナが流行、誰もお食事をしなくなってしまいました。会場は、どなたでも、無料で使えますので、お気軽にご利用下さい。




今日は、熱中症警戒レベルというよりも危険レベルでした。この時期のお墓の前でのご法事は、なるべく、短めのお経でお願いしますと、あらかじめ、僧侶の方にお願いした方が良いです。僧侶の立場からしますと、あまり、短く終わると、後で、手を抜いたんじゃないか、お布施を返せとクレームを言われないか心配なので、暑い時期でも、きっちりと勤めたい気持ちがあるのです。僧侶は、まだ、この時期のお墓の前での読経は慣れていますし、自分で読経していますからまだ良いのです。問題は、参列されている方です、しかも、喪服の方には、大変、辛いです、皆さん、気を使って、読経が始まると、日傘をたたんだりますが、たたんではいけません、そんなことで、亡き方も、僧侶も、失礼などと思いません、私は、いつも、読経しながら、皆さんが体調を崩されないか心配です。この時期のお墓を触ってみてください、本当に、やけどします。我慢して、辛い思いをしているお姿を、亡き方も心配されていると思います。ところで、最近、あちらこちらで、汚れた消毒液のボトルを見かけます。特に、屋外の手洗い場などに置いてある消毒液は、もう誰も使いません。他人事のように書いてますが、私のお寺も同じでした、今もいちよ、置いてありますが、まったく、減りません。コロナ禍で、沢山買ったアクリル板も、今後、どおしましょうか?最近、皆さん、「あなたは、常識がない」とか、「そんなの常識だろ」という言葉、使いますか?私は、そもそも、あまり、好きな言葉ではないので、使いません。浄土真宗の開祖、親鸞聖人も、他宗からみれは、仏教の非常識でした、ですから、弾圧があり、結果、京都から越後の国に流罪になりました。仏教の常識では、私のような僧侶は、救われません。修行をしていません、煩悩だらけです、五戒(詳しくは検索されてみてください)も守れません。死んだら、間違いなく地獄行きです。でも、親鸞聖人の教えに出会ったからこそ、自分は地獄往きだと言えるのです。それは、地獄往きの私を救う仏様が阿弥陀如来だからです。私が、修行を真面目に出来て、煩悩はなく、五戒をたもてる人間であれば、阿弥陀如来は、存在理由はなくなります。私がいることが、阿弥陀如来の存在理由です。消毒液もアクリル板も、いつか、その存在理由はなくなります。でも、人間がいるかぎり、阿弥陀如来の存在理由は無くなりません。私は、昔、先生に、阿弥陀如来は、「私の罪を、何でもおゆるしくださるのですね?」と質問しました。答えは、違っていました。「ゆるすことが出来ないからお救い下さるのだ」と教えて頂きました。ゆるすということは、見捨てるということだ、何があっても見捨てることが出来ないから、阿弥陀如来は、逃げても逃げても、追いかけてきて、救うのだと教えて下さいました。私にとってその言葉は、とても、衝撃的でした。もし、我が子が、何か、悪い事をしたら、おまえゆるせるか?ゆるすということは、見捨てることだ、本当の親なら、子供と一緒に人生を歩むだろう。と言われたのを覚えております。仏様は、優しい方とは少し違う気がしました、優しいけど、厳しく、強い方なように感じたのでした。

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期待せず見守るがベストですかねぇ

2023-07-29 09:42:10 | 法要

今日も凄い暑さでした。もし、本堂にエアコンが無かったらと思うとぞっとします。私が、小学生の頃は、境内のシラカシの大木のお陰で、扇風機だけで、本堂内は、充分涼しかったのですが、今は、エアコンと扇風機を、5台使っております。それで、何とか、喪服を着てくださる、お参りの方に対応しております。今日は、法事がお寺で三件ございました、また、お蔭様で永代供養墓へご納骨をして下さいました。さて、いつものとおり、話しは変わりますが、ある有名大学に入学した学生さんの話では、親から、一度も勉強しろと言われたことがなかったとか、ご両親からも、子供に勉強しろと言ったことはないとかという、体験談を聞かされると、皆さんは、どう思われますか?私は、その子供さんのモチベーションは、どこからきているのだろうか?と思います。子供さんが、もともと優秀なのか、親御さんが、そのように子供をうまく導いているのか?でも、どんな子供でも、親の期待に応えたいのです、親に喜んでもらいたいという気持ちがあると思います。私も子供だったから、分かります。私の子供たちは、みんな、社会人になりましたから、もう手遅れですが、今でも、勉強しろと怒ってしまったことを、思い出す時があります。手を出してしまったことを、悔やむこともあります。もし、もう一度やり直す事が出来るのではあれば、期待はしないで、何も言うのはやめようと思いますが、また、同じ事の繰り返しかもしれません。私は、子供のためと思って、勉強しなさい、そうすれば、いい学校にいけて、いい会社にはいれて、良い方と巡り合えて、幸せになれる!と信じてました。もしくは、手に職を付けなさい、世の中から必要とされる人間にならないと、食べていけない、家族を養っていけないと思ってました。今の親御さんは、子供さんたちに、どんなことを願うのでしょうか?世界に羽ばたきなさい!とか、自由に生きて良い!でしょうか?私の父は、高校の先生でした。私の兄弟3人は、結構、プレッシャーでした。親が、教師だと、成績が良くて当たり前という風潮の時代でした。私の弟が、昔言ってたのは、父から、「偏差値の高い学校が良い学校ではない、おまえの入学した学校が良い学校なんだ」と言われたと言ってました。私の父も、子供には、あまり、うるさく言いませんでした。それが、学校の成績もスポーツもぱっとしなかった、私にも、救いでした。地元の中学でたとえ、成績が優秀でも、進学した学校では、もっと、頭の良い人間がいる、そして、高校で優秀であって、大学ではもっと頭の良い人間がいます。良い会社に入っても同じ事、結局、他人と比べだしたらきりがなく、メンタルを壊してしまいます。今の時代は、大学に行くのは、当たり前の時代になりました。逆に、子供が減り、大学が経営難になるなんて、私の時代には、考えられませんでした。今、80代後半の方の葬儀が、一番多くお受けします。私は、葬儀の前に、ご家族にどんなお人柄でしたか?、どんな人生でしたか?とお聞きしますと、浄土真宗の方は、神奈川県のご出身ではなく、九州や山陰、山陽、北陸、北海道などの方が多いので、中学を出て、東京に出てきて、苦労して苦労して、家族を支えてくれたというお話をよくお聞きします。家族は、その後ろ姿を見ていますから、こんな時代でも、ちゃんと通夜・葬儀をされます。亡き方を粗末にする人は、やがて、自分が粗末にされます。学歴がなくても、財産がなくても、その生きざまは、子供や孫から尊敬されています。最近、法話の中で、阿弥陀如来と私の関係を、親子にたとえる話はあまり聞かなくなりました、偉い布教使の方もおっしゃていましたが、聞いている方の心に、響かないようです。でも、今も親子の関係は、阿弥陀如来と私の関係そのものです。親は、子供を何よりも大切にします。私は、産まれてきて、親に、「どうか、宜しくお願いします」とお願いした記憶はありません、気づいたら、育ててくれていました。阿弥陀如来の救いは、いつでも、先手の救いです。私が、願う前に、既に、救われていたのです。しかも、どんなに、逃げても逃げても追いかけてきて、救うと親鸞聖人は、お示し下さいます。見捨てることがない救いです。人間の親子の関係は、難しいですが、今も、親は子を想い、子は親を想うのは、今も昔も変わっていないと思います。


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優しい人ってどんな人?

2023-07-28 20:05:59 | 日記

今日で、すべての梅を干しました。後は、明後日、梅を樽に戻し終了です。



それから、先日から気になっていた、お寺の裏側の看板が、タラの芽の木で隠れてしまっていたので、剪定したのですが、それが、かなり大変でした。



タラの芽は、てんぷらにすると最高なのですが、生命力が強く、どんどん、増えていきます。その切った木を処理するのが一苦労なのです。小さく切らないと、ゴミに出せません。今日は、手が痛くなってきて、今度、電動ノコギリが欲しくなりました。最近、ようやく、電動ドリルの使い方が慣れてきました。昼間は、いつも、ツナギ姿なので、お参りの方に、私だと気付かれません。「こんにちわ、よくお参りです」とあいさつしても、なんか、反応がぎこちないのは、住職だと気付いていないのだと思いました。さて、話しはまったく変わりますが、優しくて真面目な人は、うつ病になりやすいと、よく言われます。なんか、優しい人は、損な気もします。優しい人とは、他人に気を使い、自分を主張出来ない、心の弱い人のようなイメージがありますが、そうではないのです。本当の優しいとは、他人の憂い、苦しみ、悲しみを一緒に悲しんでおげられる人です。いわば、仏様の慈悲の心を持つ方です。でも、本当にそれが出来る優しい人は、なかなかいらっしゃいません。「他人の不幸は蜜の味」とても嫌な言葉ですが、私の心にもあります、否定できません。優しい人は、心の強い、真のしっかりした人です。人を助けることの出来る、心の広い方だと思います。悲しんでいる方をほってはおけない方です、お人好し、世話好きとも言えます。でも、そういう人の周りには、人が集まります。だから、優しい人は、幸せな人生を歩めるのだと私は思います。皆さん、是非、優しいというのを間違わないでください。優しい=慈悲です。また、偽という字も、法話でよく聞く話です。「人の為と書いて」=偽。私は、つい、友人の為、知人の為、門信徒さんの為といいながらも、どこかで、見返りを期待してしまいます。何か、贈り物をしたら、感謝されるのが当たり前、喜んでくれるのが当たり前、見返りを期待する、この世は、ギブアンドテイクです。もし、お礼もなければ、見返りもないのであれば、腹を立てる。まさに、偽とは、凄い漢字です。偽善という言葉もありますね、これも、嫌な言葉ですが、これも、私否定できません。期待などせず、見返りもお礼もなくても、腹を立てない、心の余裕が欲しいなぁと思う住職です。それではまた。今日は、901回目の投稿になります。


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あなたはあなたのままで良い

2023-07-27 17:48:00 | 法話

今日も、暑かったですね。もう、何日、この猛暑の話題をしていることでしょうか。私も最近は、植木鉢の植物に水やりが日課になりました、からからに乾いた土に、まいた水は、すぐにしみこんでいきます。私も、辛い時や不安な時、ふと、仏様の救いが、心にしみ込んでいくときがあります。日頃は、何でもない言葉が、時に、心にしみ込む時があるのです、そんなときは、仏様が、私のそばにいつも寄りそって下さっているからだろうと思います。今日も午前中、ご法事がありました。永代供養墓へのご納骨もございました。住職には、ONとOFFがはっきりしません。だから、住職というのですが、中には、お寺とは、別に、ご自宅があり、お寺に出勤される方もいらっしゃいます。日本全国にある浄土真宗の寺院は、街中にあります。人里離れた山中にあることはありません。それは、お寺は、修行の場ではなく、生きている者が、法話を聞かせて頂く、聞法の道場であるためです。法事も葬儀もお勤めしますが、浄土真宗では、読経の後には、必ず、法話がございます。この法話は、生きている方のためのものです。生きている者が、幸せな人生を歩んで頂きたいからです。それが、亡き方の願いだからです。皆さんは、最近、心配事や不安な事はありますか?人間生きていれば、誰もが、不安を抱えながら生きています。私は、他人は、何も心配事などなく、幸せに生きているように本気で思ってしまいます。自分だけが、心配ばかりしている、不安を抱えながら生きていると思いがちです。これは、まったく、間違いです。地位やお金や年齢すべて関係なく、みんな、平等にそれぞれの立場や境遇で、悩みや不安を抱えています。でも、悩みや不安は、人生には、必要です。不安や悩みがあるからこそ、幸せになれるのです。そもそも、皆さん、誰が、自分を苦しめていると思いますか?それは、他人ではなく、自分です。世の中で、自分が一番大事だからです。その自分を、守り生きぬくために、不安や悩みが生まれるのです。突き詰めると死にたくないからです。ですから、悩みや不安と上手に付き合うしかありません。その解説本は沢山出版されてますが、何故か、それを読んでもやはり、不安悩みは、また、出てきます。その本の著者は、上手くいっても、万人が救われる事はないからです、私が思うのは、無理ぜず、自然体で生きる、他人からどう思われようが、自分に対して素直に生きて下さい、辛い時は、辛いと口に出して言って下さい。私は、気がすすまない、面倒だと思うことは、どんどん止めています。幸せとは、何なのか、それは、自分が決めていることです。他人にどう思われようが、自分が幸せなら、それで良いのです。他人と比べて幸不幸を決めることは、バカらしいことです。自分は、自分らしく、阿弥陀如来は、あなたには、あなたなりの幸せな人生があり、それは、他人と比べるものではない、あなたはあなたのままで良い、他人の真似や他人を妬むことなどする必要ないと言われています。自分で自分を苦しめるのは、今日かぎりやめましょう。阿弥陀如来は、あなたをいつも大切に思って下さっています。そして、もちろん、亡き方も同じです。あなたが幸せに生きていれば、亡き方も喜んで下さっています。


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