浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

三方よし

2024-07-31 20:11:00 | お知らせ
あなたが精進し、身に付けたものは一生の宝になる。そしてその宝を、みんなと分かち合えたならば、それはもっと輝きをます。これは以前、NHKの朝の連続テレビ小説に出てきたセリフであります。なんだか心に響いたので、、メモしておきました。宝物は、みんなと分かち合うことで輝きを増すと。有名な近江商人の三方よし、売り手よし買い手よし世間よし。みんなが得をする。この世で、お金持ちに生まれた人は、前世で周りに施した方だそうです。逆に、この世でお金に困ってる人は、施しをしなかったからだそうです。施しをする事は大変なことなのです。自分のお金、自分の財産、誰にも渡したくないのであります。お寺よし、お参りよし、世間よし、みんなが得をすれば、お寺も繁盛するのであります、そしてお寺が1番しなければならないのは、仏様の教えを施すことであります。

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ハワイにも盆踊り大会

2024-07-30 22:15:00 | お知らせ
明日から築地本願寺では盆踊り大会なんですね。今日は着々と準備が整っておりました。私は、30年程前、ハワイに浄土真宗本願寺派の寺院に視察に行った時があったのですが、その当時、ハワイでは夏に、盆ダンスと言って大変盛り上がっていたのが印象的でした。今はわかりませんけれども、日本の故郷を想い、また、ご先祖がお帰りになると言うお盆の風習は、日本人以上に大切にされてるように感じました。








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お布施と言う名の読経料

2024-07-29 21:11:00 | お知らせ
今日は、歯医者さん行ってきました。お盆の時期や、年末になると歯が痛くなるのであります。多分忙しいのと関係があるのだと思います。今の時期、お寺は商売繁盛であり
ます。お坊さんが忙しいと言う事は決して良いことでは無いのであります。私は、お布施の額を伝えることにしています。お坊さんによっては、それは言ってはいけないと、そのようなお考えの方も多いのでありますが、私は聞かれる前から、すぐにお布施は、いくらになりますとお伝えするので、ご相談者の方がびっくりされます。はっきり言っていただいて助かりますと言う方もいれば、いきなりお布施の額を言われてびっくりされるような方もいらっしゃいます。本当は、お布施ではなく、読経料と言った方が正しいのです。お布施とは、本来読経に対する対価ではないからであります。清らかな心で相手を思い(この場合の相手とは、亡き方のことです)相手のために喜んでお金を差し上げる。それがお布施であります。ですので、お布施とは、お坊さんに対するお礼では、無いのであります。亡き方やお救いくださった阿弥陀如来様に対するお礼なのであります。また、お布施はお坊さんへのポケットマネーにはもちろんなりません、宗教法人の収入になります。ポケットマネーにしてしまったらそれは会社のお金を勝手にいただくのですから、横領であります。そして、いただいたお寺もその金額にかかわらず、清らかな心でありがたき、宗教法人のために使わせていただくのであります。お布施の額を見て、なんでこんなに少ないんだ?とか、そんな文句を言ってはいけないのであります。逆に、こんなにいただいてい良いのだろうか?と思うこともございます。私はついそんなことを思ってしまうので、ちゃんと金額を伝えることにしているだけであります。読経料は、対価でありますから、本当は、お布施とはいいません。でも、みんなお坊さんにお礼するお金を、お布施と言っているのであります。世の中物価がどんどん上がっていると話題になっていますが、お布施と言われる読経料はどんどん下がっているのであります。これからどんどんお寺が潰れていくと、言う方がたくさんいらっしゃいますが、世の中には、必要とされているお寺がまだまだたくさんあります。頑張ってるお寺がたくさんございます。私はいつも月刊住職を愛読しておりますが、それを見るたびに、うちはまだまだだなと思うのであります。

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毎日の積み重ねが人生

2024-07-28 21:57:00 | お知らせ
人生は、あぁすればよかった。こうすればよかったの連続であります。では、これからの人生は、そうならないようにしっかりと生きていこうと思っても、それも無理なの
であります。やはり、ああぁすればよかったなぁ。こうすればよかったなぁと思うのであります。人生とは、そういうものなのであります。今日は葬儀が3件ございました。どういうわけか、ご葬儀は重なるのであります。それもまた、予定通りいかないのであります。私たちは、心のどこかで、自分の人生なのだから、自分で思い通りに出来ると思っているのだと思います。思い通りいかないなどという、坊さんの話など信じていないのです。しかし、思い通りにならぬからといって、不幸と言う事はありません。それがかえって幸せな道になるのかもわかりません。阿弥陀如来は、あなたのままで、人生を精一杯生きろと、そのようにおっしゃっておられます。人生はただの遊びであり、人生はただのゲームです。ですが、遊びだからこそ、ゲームだからこそ、真剣にやったほうが楽しいのであります。ゲームは困難があるからこそ楽しいのであります。人生には必ずゲームオーバーがあるのです。限りある時間だからこそ、大切にしなければならないのです。

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心配という本心はいかに

2024-07-27 21:43:00 | お知らせ
私はよく父親から「お前の事
が心配なんだ」と言われました。さすがに、もう私も55なので、最近は、何を言っても私が言うことを聞かないので、諦めたようで、言われなくなりました。ですが、心配なんだと言う事は「お前を信じてないぞ」と同じ意味であります。人間は、自分が1番可愛いのであります。親子の関係でも同じです。親は、子供のことが心配だと言いながら、自分が苦しむのが嫌だから心配だと言っているのです。私も、自分の子供にお前のことを心配してるぞと心の中で思います。しかし、本心では、自分が苦しみたくないだけなのであります。子供は、そのことを見抜いていると思います。「阿弥陀如来は本当にお浄土に、主人を救いくださったのでしょうか」とご質問を受けるのであります。心配していると言う事は、信じていないということなのです。ですから阿弥陀如来は、私たちが信じたら救うとか、心配をしなければ救うと条件は出していないのであります。私の人生に心配事はなくなりません。その心配事は全て自分に対する執着がそうさせるのです。無条件の救いと言うのは、そのままで救うということであります。そのままと言う事は、今ということであります。今と言う事は無条件と言うことであります。私が心配しても、そのまま救うとおっしゃっているのであります。

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