よく求人広告をみると、簡単な仕事ですと書いてあるのをみますが、世の中に、簡単な仕事などないのであります。この現世において最も難しいのは、極重の悪人を、極楽浄土へと救うことであります。自力修行によって仏となる道が難行道と言われます。阿弥陀如来のおはたらきで、救われる道が易行道であります。難行道とは、難しいとので意味ではなく、不可能という意味だそうです。自力修行で仏になれる道は、不可能なのです。それは、今が末法であるからです。易しいとは、優れているという意味です。難しいことを、やさしくすべてのものに理解できるように伝えるのは最も難しいことであります。阿弥陀如来は、すべてのものを、お浄土へ救うはたらきを既に完成し、私に、南無阿弥陀仏を称えなさいと、はたらいてくださっているのです。誰もが、仏に成ることの出来る道は、易しくなければ、私には、無理であります。有名な無量寿経の言葉、易往而無人(往き易くして人無し)。
お浄土へは、誠に生まれ変わることが、易しいにもかかわらず、往く人は少ない。どういうことなのでしょうか?縁なき者は、救われがたいのです。せっかく、阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏と、私に至り届き、はたらいてくださっているにもかかわらず、その救いを、拒絶し、聞こうとしないのであります。これは、私の過去の姿であり、今の姿なのです。お盆やお彼岸と言うのは、大切な方を偲ぶだけではなく、自らが仏縁をいただくのが大事なのであります。私は、この現世を最期に、迷いの世界とは、おさらばしたいのであります。