今月のカレンダーのお言葉は、第二十二代のご門主、明如上人のご息女でいらっしゃいます、九條武子夫人の詠まれたお歌でありました。
『いだかれてありとも 知らずおろかにも われ反抗す 大いなるみ手に』
九條武子夫人は明治から大正にかけて、浄土真宗本願寺派における仏教婦人会の運営や、社会奉仕活動を精力的になされたお方でありましたが、歌人として沢山のお歌を残されております。
母親に抱き抱えられている幼い子どもは、母親の胸の中で不安や恐怖を感じることなく自然と安心して身を委ねています。ところが、母親が子どもを抱きかかえるように、阿弥陀様に抱かれている私たちは、阿弥陀様の大きな救いの手に気づかずに反抗するような生き方をしてしまっていることを九條武子夫人はお歌の中で表現されております。
そして、親鸞聖人はご和讃というお歌をもって、阿弥陀様の尊いおはたらきを讃嘆されております。
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる(『註釈版聖典』571頁)
親鸞聖人は、ご自身が読まれたお歌にある「摂取してすてざれば」の左側に、「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」とお示しくださいました。
阿弥陀様は全ての命を自らの手に摂めとり、誰ひとり見捨てることなく救ってくださる仏様です。たとえ仏様に背を向けて、自分や周囲のいのちを傷つけて生きてしまっているような私達であっても、阿弥陀様のおはたらきは私達を決して取りこぼすことは無いのです。あらゆる世界に生きる命を念仏申す身にお育てくださる阿弥陀様のおはたらきが、私や皆様の口から南無阿弥陀仏のお念仏となって、あらわれて下さっております。
私達を抱いて決して離すことのない、阿弥陀様のお慈悲のお心に気づかされる時、不安や恐怖を包み込む安心をいただく人生を歩ませていただけるのです。まだまだ今までにない不安や恐怖を感じることのある日々を私達は過ごしております。
ただ、状況は常に変化しているのも事実です。引き続き力を合わせて、目の前の苦難を乗り越えていきたいと思います。
法事が終わった後は換気をしています。
本堂は広いので、密にならずに座ることができます
手すり、ドアノブなども、できるだけ除菌してます。