狩野芳崖の悲母観音を芸大美術館で見てきた。いつかどこかでこの絵を見た記憶がある。それも何度も。それだけ知名度が高い作品であり、インパクトの強い作品でもある。
東京はまだまだ暑かった。上野公園はこれでもかと、たたきつけるように蝉が鳴いていた。蝉と人が蒸し暑さをさらに息苦しくしているような昼下がりの上野公園。
フェルメール展へ急ぐ人の波と別れて、芸大美術館へ向かう。2日続けて美術館へ行けることの幸せをかみしめた。
この霊的ともいえる宗教的な作品の「悲母観音」。そこだけが異質の空間だった。下書きのスケッチの数々。少々なまめかしい女性の裸体スケッチである。このスケッチにおひげは見あたらない。でも、本作品の悲母観音には口ひげがある。
何度見てもおひげがある。どうしてと、首をかしげたくなる。もともと観音様には男女の区別がないそうだが、この観音さま、顔はどう見ても男性。体の曲線は明らかに女性だと思う。
観音様の水差しのような入れ物から出ている聖水は嬰児をくるんだ球体へ向けられている。この球体をも視野に入れると、ますます怪しげな雰囲気だ
作品にはお手本があった。背景の渓谷は妙義山、球体の中の嬰児は芳崖の孫、そして観音様のお手本は定朝の彫刻だという。芳崖には子どもができなかったため、知り合いの幼子を養子にしたらしい。62才で最後まで作品への思いを持ちながら淋しく世を去っていったのかと思うと、この作品への見方もまた変わってくる。
芳崖というひとは「女性は慈悲の神である」と語っていたと言うが、それは彼を取り巻く女性達がいずれも忍耐強く慈悲にみちあふれていたためであろう。それゆえ、女性の観音様を制作しようと思い立ったのかもしれない。
美術の知識が乏しいため、様々に勝手な想像をしてみる。芳崖没後、この「悲母観音」をお手本にして多くの作品が登場したようだ。芳崖はこの作品の製作にあたって、霊的なインスピレーションを感じたのだろうか。
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