岡山にある大原美術館。
一度訪れてみたいと思っていました。ところが宮城県美術館で「大原美術館展」が開催されていることを知りました。できれば岡山まで行って見たかったのですが、せっかくのチャンスだと思い、これまで2度足を運びました。
驚いたことに、セガンティーニの作品がありました。彼の作品は色の重ね方が重厚で直ぐに共通点が見いだせます。「アルプスの真昼」と題されたその絵は、褐色の下地に細い棒状のタッチを密に重ねた彩色法で、明るい色彩と透明感、空間の広がりとむせかえる大地の熱さが感じられました。。真昼に山羊の世話でもしている婦人が曲がりくねって倒れかかっている木の幹に寄りかかっています。太陽の光を遮るものが何もない陽光の中でどっかりと・・。
他に心に残った作品は岸田劉生の「静物」
彼は病気療養のため室内制作を余儀なくされ、静物画に取り組むようになったようです。テーブルの上に置かれた赤リンゴ3個とブリキ缶、茶わん、匙を描いただけの作品ですが、それらの微妙な配置と存在感。これまで余り静物画に心を動かされたことがなかったのですが、何度も何度もじっくり見てしまいました。このテーマでなぜこんなに気になるのかと不思議な気もしました。
でも、さらに気になったのは関根正二の、「信仰の悲しみ」です。
「朝夕の孤独のさびしさに祈りたくなるときに浮かぶ女性」・・・それがこの妊婦とおぼしき髪の長い女性達。
20才で夭折した画家関根正二の作品は、これまでに訪れたいくつかの美術館でも見てきましたが、この絵は不思議で怪しげな雰囲気がただよっています。「信仰の悲しみ」というテーマにも引っかかるものがあります。ぎりぎりの精神とでも言うのでしょうか。何かすごく引っかかりました。
だから、最終日までにもう1度行こうかと考えています。
一度訪れてみたいと思っていました。ところが宮城県美術館で「大原美術館展」が開催されていることを知りました。できれば岡山まで行って見たかったのですが、せっかくのチャンスだと思い、これまで2度足を運びました。
驚いたことに、セガンティーニの作品がありました。彼の作品は色の重ね方が重厚で直ぐに共通点が見いだせます。「アルプスの真昼」と題されたその絵は、褐色の下地に細い棒状のタッチを密に重ねた彩色法で、明るい色彩と透明感、空間の広がりとむせかえる大地の熱さが感じられました。。真昼に山羊の世話でもしている婦人が曲がりくねって倒れかかっている木の幹に寄りかかっています。太陽の光を遮るものが何もない陽光の中でどっかりと・・。
他に心に残った作品は岸田劉生の「静物」
彼は病気療養のため室内制作を余儀なくされ、静物画に取り組むようになったようです。テーブルの上に置かれた赤リンゴ3個とブリキ缶、茶わん、匙を描いただけの作品ですが、それらの微妙な配置と存在感。これまで余り静物画に心を動かされたことがなかったのですが、何度も何度もじっくり見てしまいました。このテーマでなぜこんなに気になるのかと不思議な気もしました。
でも、さらに気になったのは関根正二の、「信仰の悲しみ」です。
「朝夕の孤独のさびしさに祈りたくなるときに浮かぶ女性」・・・それがこの妊婦とおぼしき髪の長い女性達。
20才で夭折した画家関根正二の作品は、これまでに訪れたいくつかの美術館でも見てきましたが、この絵は不思議で怪しげな雰囲気がただよっています。「信仰の悲しみ」というテーマにも引っかかるものがあります。ぎりぎりの精神とでも言うのでしょうか。何かすごく引っかかりました。
だから、最終日までにもう1度行こうかと考えています。
国立近代美術館にいつも展示されています、ゴッホの耳きりを真似たようなえ。
「信仰の悲しみ」、悲しみの中で人は信仰に導かれるということなのでしょうか?
気になる言葉ですね。
関根正二は福島出身ですので福島の美術館にはいつもいずれかの作品が常設されているようです。国立近代美術館のその絵は見たことがあるかも知れませんが、今は思い出せません。是非見てみたいと思いました。
大原美術館へは何度か行った事があります。
私が最初にセガンティーニの作品と出会ったのも大原美術館でです。
「アルプスの真昼」は「大人になったハイジとユキちゃん」といった感じで、
透明感のある美しい色彩で描かれた作品なのですが、
ただ牧歌的できれいなだけの作品だと思っていました。
しかし、その後「生命の天使」と出会い、
その神秘的な美しさと、天使の持つ母性に惹きつけられてしまいました。
それ以来セガンティーニの白昼夢のような世界に魅了され続けています。
そうでしたか。セガンティーニのファンだったのですね。もう少しいろいろなこの画家の作品を見たいと思っています。「生命の天使」・・・タイトルがすてきですね。たぶん絵は見たことがないと思いますので、その絵に会える日を楽しみに待ちたいと思います。