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ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

「言論の自由」の、真の意味とは…?

2015-07-03 22:29:29 | 思うこと
「オマエが言うな!」というご批判は、百も承知で(笑)。

ここ最近、政治家や文化人の発言をめぐり憲法で保証された「言論の自由」の議論が活発である。
先週、自民党若手議員の勉強会で出た
「マスコミが困るのは、スポンサーがつかない事。企業の皆さんには提供しないよう、経団連に働きかけよう」
という発言。
かと思えば作家の百田尚樹氏の
「沖縄の2紙は潰れろ」
という発言。批判を受けるとすぐに
「アレは冗談。本当に潰れてほしいのは朝日、毎日、東京」
と、これまた物議を醸す発言をして世間を騒がせている。

私が思うに、言論の自由はある。
私が思う言論の自由とは、
「発言の機会を、妨げられない」
という状態である。すなわち発言すら出来ない圧殺状態なら問題だが、後で発言者がどれだけ世間の批判にさらされようと発言の機会そのものは奪われていないのであれば、それは言論の自由が保証されているのである。

ただ問題は、その「発言によって世間の批判にさらされた状態」である。
大阪府の松井知事は、百田氏の発言について
「百田さんにも言論の自由はあるんとちゃうんか」
と述べたそうだが、全く正しい。百田さんの発言の機会は、全く妨げられていない。
ただ、その発言によって沖縄の新聞社が猛烈に抗議したり、沖縄の書店から百田氏の著作が消えるような事態になったとしても、それは百田氏の言論の自由が保証されているうえでの出来事である。すなわち、百田さんにも沖縄の新聞社にも沖縄の書店にも言論の自由はある。
自由が保証されているという事は、その反面で自分の発言によって起きた事象においても責任を負わねばならない、という事なのだ。

百田氏は、それでも単なる文化人であり民間人だ。問題は、発言が国益に直結する政治家の発言である。
問題発言により、次の選挙で自分が議席を失うだけならまだよい。しかし政治家の発言というのは全世界に伝わり、国益に直結するのである。
政治家が個人の考えを述べた結果、我が国が全世界の総スカンを食ってしまい経済的にも破綻する、という事態は、ない話ではない。

安倍首相は6/26の衆院特別委で、その自民党議員の発言について
「言論の自由は民主主義の根幹をなすもので、我々は尊重している。ひとつひとつの意見、誰が何かを発言した事をもって処罰する事が果たしていいのか」
と述べたそうだが、その理屈ならいわゆる「問題発言」は地球上に存在しない事にならないか?

自由と責任は、表裏一体である。
責任が取れる範囲の行動を取らねばと、私も心がけている。
発言が国益に直結する政治家の皆さんは、発言には一層の注意をしていただきたいと願うばかりである…