朝124-55-67夕方127-48-69今十時160-75-69寒いから高い、朝五時半に目覚ます、八時半まで俯せで寝る、だ変段胸苦しくなり身体怠くなる、危ないと思い起きると起きられて動けた、お茶にスイッチ、バナナ、パン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時半、新聞読み、少しパソコン触り十一時、木村屋に弁当買に行く、帰って十二時過ぎ、昼飯食べて一時、薬飲み、久徳とこに年貢持って行くが居ない、息子が居た、初めて見る息子二十分ばかり話しする、帰り忠さんとこに行き忠さんとこの封筒に書いてあるのが屋号だと思い聞きに行く、カネダイとの事帰り道土田墓が見えたので明治の合資会社の出資者の土田姓一人も解らないのでお墓見に行く、知らない人のお墓ばかり、中で一つ出資者と同じ名前見つけるが何処の家か解らない、花を上げていたので近くの土田かもと思い改めて土田本家のお墓見ると江戸時代から土田姓持っている家柄なのに息子江戸時代の姓を関谷と書き直している、途中までだが何十も関谷と直していた、馬鹿な息子だ、土田墓の隣の畑に居た人にあのお墓何処のと尋ねるが解らない、昭和二十年に関谷に来た人で八十二才、色々と話ししたがパソコンやっていると言って3.11の大震災の新聞記事をCDに取ったり、昭和三十年代の歌をCDにいれた物などくれる、八十二才にしてはボケずにやっている、大工をやっていたから作るのが好きだと言っていた、帰ってパソコン開き綿屋の歴史の忠さんとこをひやと屋号書いていたのをカネダイに直す、くれたCDを少し見るが少し間が抜けたCDだった、大分物足りない、土田姓の名前どうにかして家を見つけたい、小さい時から土田墓の側はよく通ったがお墓の中は入った事ない、熨斗屋にでも訊きに行くか、五時半に晩飯食べる、七時半にマルナカに買い物に行く、帰って八時、それからこちらに来てパソコンの前に座っている。左目段々見えなくなってきている。医者変えるか、二十六日陶に行くから大原先生に尋ねてみる。