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大平木の畑に牛神さんを祀る祠ある

2012-07-09 22:42:51 | 日記・エッセイ・コラム

朝97-46-57夕方101-43-61今十時前101-48-64最近血圧低い、血圧計悪いか薬効いているか、朝七時過ぎに目覚める、八時過ぎに起きる、お茶にスイッチ、冷たい牛乳飲む、湧いてパン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時半、少しひっくり返りそれからパソコン触る、直ぐに止めて病院に行く、十一時には整形の前に、一番前に居た婆さんを橿棒さんと呼んだと思い嫁みたいな女の人が車椅子に載せて処置室に入った、でてくるのを待ち追っかけて行き橿棒さんと呼んでみた、止まったので上高野の橿棒さんですかと声掛けると隆一さんの奥さん、押しているのは娘だった、少し話しして解れた、注射して帰る、これで十四回済んだ、帰り薬局により陶病院の薬貰う、午後一時半過ぎにもう一度太平木の畑に行き写真取り脇に行き尋ねる、大分前には祭りしていたと、帰る時牛神さんを祀っていると教えられる、役場に行き祠あり木を二三本切った後ありこれも畑に入るかと尋ねる、税務課の山本に電話して身に行きその広さだけ税金安くなるからと言われる、太宰治の娘の写真コピーしに持って行く、六時ころ出来ると言われる、帰って都に話す、連れて行ってと言われ畑に連れて行き見せる、畑の西側ののりめん砂だけ、直ぐに崩れる隣との境無い、都の馬鹿広い広いと言っているが崩れると金を出さないといけない事考えない、道の前で田圃していた人にあの祠だれが祀っていたか尋ねる、石川の呉服屋がお参りにきていた、呉服屋に聞いたら解ると教えてくれた、六時に写真取りに行き呉服屋側なので行き聞く、江戸時代あそこに住んで居て農家し、火事で牛殺したので祠建てたとの事、現代で七代目と言った、印刷屋と康んきと三人兄弟と言われる、帰って都に伝える、内の畑と言っているが幾つ抵当に入っているか忘れている、こんな奴が政一と一緒になり石川家を潰したボケである、皆が都は借金まみれ、全部何重にも抵当に入っていること知っているのに人の前では嫁も気楽にふるまっている、都が死ねば差し押さえられて住むとこ無くなると解らないから気楽に遊んで居れる、政一夫婦は後は野となれ山となれでやったから二人とも野垂れ死にした。