朝125-45-80夕方130-48-82今六時三十分前134-49-80昨夜十時に布団に入る、腰から下が痛くて眠れない、寝たのは一時前と思う、二時過ぎに目さますと頭の傍のスタンド点いて居たので消してから又寝た、四時過ぎに目さまして両膝下が痺れるが少しウトウトして六時半より両足解して起きる準備して七時に成ったので起きる、母屋に行く、お茶にスイッチ、牛乳飲み、バナナ、パンで朝食、五分と掛らず終わる、休んで、目薬注して、薬飲み、七時半に此方に来てパソコン開く、天気予報、ニュース、ゲーム等して左足先痛く成ったので八時二十分に止めて横に成るが下に成った足痺れて感覚無くなり痺れ治すのが大変な仕事である、十時に起きて母屋に行きお茶飲み、着替えて十時半にハローズに弁当買いに行くが途中薬局に寄り陶の薬貰い左足痛いが我慢してハローズに、車降りると雨降って居て寒いし両膝裏と、左足裏痛くて歩けない、杖突いてゆっくりと店内に手押し車押して買い物して十一時二十分に帰る、都が置いて行った洗剤の価格は六百円ばかり、蛍光灯都が持って行ったから正身に頼んで買って来て貰ったのは二千三百何十円、大分差が有る、昼飯食べだす、五分位で終わる、休んで薬飲み、十二時前に此方に来てパソコン開き、天気予報、ニュース、競艇など見て左足指痛く成ったので一時に止めて横に成る、横に成ると腰から下が痛くて寝て居れないので一時十五分に起きて母屋に行く、休んで一時四十分に風呂に湯入れる、一時五十分に入る、湯の中で両膝解して二時五十分に出る、体重七十五キロ、休んで三時二十分に晩飯食べだす、三時三十分に終わる、休んで湿布薬貼ルト、福祉委員から電話あり終戦前の話しだして終わったのが四時二十分、薬飲み、薬飲む水など持って此方に来てのが四時四十分、パソコン開き、天気予報、ニュース、競艇など見て左足痺れるの我慢して六時三十分に今日の日記書き出す。都の奴久し振りに家に入らなかった、福祉委員の話何処か勘違いして戦争末期の事を話していた。明日は康雄の家に行き上高野の事書いた本貰いに行く。