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あまい 苦い大學二年の思い

2009-10-07 23:37:17 | 日記・エッセイ・コラム

五十年まえの思い出 なんとなくロマンチックナことを書いて残すか。男四人の中に女の子が一人入ってきた。全部同級生、百軒店のライオンに名曲クラシックを聞きに何回か四人と一人が行った。そうするうちに中の一人が女の子を好きになり少し意思表示(同期のこの歌人も俺と同じ久我山三丁目に下宿大家が秦まで同じ、彼は失恋で自殺)振られた。当然四人の中で一番の堅物、男子校から出てきたばかり、女も女子校からきて青春を謳歌しようと考えている女の子だ、会うはず無い、それで学校に来なくなり一月過ぎた。年上の俺が彼の家に二三回行き話をする。悪い事に此間女の子と此問題に付いて彼女と四、五回二人で話した。五回目は井の頭公園で二時間くらい座って話をした。可笑しくなりますよ、辺りには運良く人気なし、顔を引き寄せると寄ってきたのでキス。長くする。又キス、これで俺がどうしてよいか解らなくなった。彼女を抱き寄せごめんとかなにかを言ってしまった。

彼女始めてのキス、キスと何回かいった。俺どうしてよいか解らず少し彼女突き放すようなことを言ったと思う。学校休んで居た奴も講義に出てくるようになり、俺と彼女は渋谷のライオンで四、五回会い最後は二階のロマンスシートで話す。ここで「別れよう」と俺が言った。何をして良いか解らなかったのでこんな結末を撰んだ。これが六月、七月のノ夏休みに此処に帰ってきた。前の下宿には行かないつもりでフトンなどを家に送っていたのを九月に出てきて国分寺の一里塚の関さん方のアパート借りてフトンをアパートまで親父に送ってもらった。

当時下宿代として6500円送ってもらっていた。久我山では二食付の6000円、国分寺ではアパート6000円飯代はバイトで稼いでいた。国分寺でもバイト、奨学金2000円でなんとか食う手いた。きっかったが若さでやっていた。今の国分寺は変化しすぎ。