今日の記事、ずいぶん前に下書きしていたのですが
あまりに過去の話なので、しばらく放っておきました。
そうこうしているうちに、ある裁判があったので
出してきました~。
今日は、恥ずかしながら母の個人的なお話…。
小さい頃から母は鍵っ子で、家庭の事情もあって
「可哀想だから、犬でも飼ったら?」という
ご近所さんのご進言があり、笑 かなりワンコのいる時間を過ごせました。
犬が親友だった小学生の頃、
昔の田舎では「野良犬」がたくさんいました。
犬=番犬 が主流でしたから、
放し飼いの飼い犬に追いかけられたりもしました。笑
子供なりに、保健所が野犬を捕まえに来たら、
何をするのかもわかっていました。
今と比べると原始的とも思えるやり方ですが
人間に危害を加えるであろう動物は処分する。
当時はそれが当たり前でした。
日本で「飼育動物保護に関する法律」が制定され始めたのは1970年代。
まだまだ歴史は浅いです。
動物保護活動について知るのは、中学の頃だったと思います。
保健所に行っても、処分されずに命が助かったワンコがいるんだ、と漠然と。
でも、ペットショップには弱いです。
かわいい、きれいなワンコが目の前にいるんだもの。
(DOG image.com)
「ノストラダムスの大予言」に震え上がっていた頃、
ショップというより犬屋さん、と言った方がよさげな
繁華街の路上のオリに入っている、柴ワンコが気になりました。
体が小さいせいか、病気なのか、他の子犬にいじめられて
惨めな姿で隅に小さくなっていました。
そんなワンコが売れ残るのは予想できました。
家には小鳥や、ハムスターや亀はいましたが、笑
一番の親友の秋田犬「鷹王丸」を亡くしたあと、
ワンコ不在の生活をしており、
母は姉に電話して、この子を家で飼う事になりました。
(親との交渉役は姉。代金は折半だったかなあ。笑)
それが「レイラ」。名付け親は当然、姉↑。
呼ぶのが恥ずかしいので、兄は「アレ~」とか「イヌ」とかで
あまり名前を呼んだことはありません。笑
この頃、母はこれまた漠然と、ワンコを助ける仕事がしたい、
保護ワンコと暮らしたい。
動物園の飼育員、さらに飛躍し、なぜか→獣医になってアフリカへ飛びたい!と
無謀な夢をみておりました。笑
田舎でしたので当時、動物と関わる仕事は、
獣医か、動物園の飼育員か、
デパートのペット売り場店員しかありませんでした。
どっぷり文系の母、やっぱり夢かなわず、
美大になんとかひっかかり、晴れて、母は家を出て東京へ来たのですが、
レイラは長生きしてくれました。子供も産みましたし。
白い女の子で、母は「さくら」「もも」と名付けました。
母が東京にいる間、
1頭はもらわれていきましたが、残った子は
海岸に打ちあがった小さいフグを食べ、亡くなりました。
実家は学習塾をやっていたので、「パス」(合格)という子供もいましたし、
現在いる白ハスキー「ハリー」も加わって、
帰省すると、ワンコわらわら、という頃もありました。
唯一実行できたのは、
今、ホリーを迎えて暮らしていること、だけですね。笑
今高校生だったら、トリマーさんになってたかなあ。
それとも密かに考えているニュービジネスを繰り広げていたかな。
若くないとできないけれど。笑
いや、なんでこんなお話になったか、というと
本当は、広島ドッグパーク・レスキューの後日談を書こうと思ったの。
ふと昔のワンコたちを思い出したら、
どんどん出てきて、文字数足りません。笑
私も横浜のど真ん中で生まれ育ちましたが、生まれた時から身の回りはワンコはもちろん、猫・鳥・あげくに蚕までいました。
なかでもやはりワンコが一番身近でかわいかったなぁ♪
*ママさんの密かな思いのビジネスも聞きたい~~(笑)
いやはや、お恥ずかしいです。こうやって思い出すと、自分に足りない実行力、をいつも思い知らされる次第です~。笑
なんと、ミルミルママさんお蚕さんも飼っていたんですか?珍しいですね!桑の葉っぱを食べるんでしたよね。なんだか難しそう~。でも繭観察は楽しそうです。笑
我が家のワンコ、実は更に昔、2頭います。雑種のメロ?とペルです。(メロの時代は覚えていませんが)ペルには下に見られてました。よく唸られました。笑
ビジネスですか?それは要免許です。あとはヒ・ミ・ツ。笑