脳腫瘍に負けない!!闇を抜けて君に幸あれ 

48歳で脳腫瘍を発病したパパを応援する妻、ちぇぶの日記です。

初めての大学病院

2006-05-14 00:28:00 | 今までのこと
説明を受けたあと私達は最初の選択を迫られました。
転院先をどの病院にするか?ということです。
先生からは県内の病院と自分が元々籍を置く東京の大学病院の名前があがりました。
話をしながら先生は
「最先端の治療を希望するなら大学病院をお勧めしますが、ベッドの空きが無いのでその場合しばらく待っていただくことになります。」
と言いました。
家からは遠いけどぱぱの命がかかっています。
私達は迷わず大学病院を選びました。
この病院の脳腫瘍手術の功績が大々的に新聞や雑誌に取り上げられるのは私達が入院を決めた直後の事です。
思えば私達の幸運はここから始まったのだと思います。
最初の1回は本人抜きで私とパパの妹と2人でMRIの写真を見せに行きました。

まるで宇宙ステーションかと思うような、外観の立派な建物が外来棟でした。
待合室では液晶画面にその日の受付番号が順番に表示され、自分の番号が出たら
中待合室に入ります。
先生の部屋の前でまた待つわけですが、その場所はディズニーランドのスターツアーズの乗り込み口にそっくり!
「〇〇さ~ん」と言う患者の名前を呼ぶ声が一切無いので病院という感じがしないのです。
診察室の中にいる先生もロボットのような冷たい感じだったらいやだなぁ。
なんて事も考えました。
実際私達を待っていたM先生はロボットどころか、若々しく自信に満ちた目、ハッキリとした口調、温かい言葉、人を和ませる雰囲気を体中から発散している、素敵な先生でした。

先生のお話は
「詳しい検査をしなければなんともいえませんが、視野をつかさどる部分の近くに腫瘍があるのでとても難しいけれど、それほど悪いものではないように思います。大丈夫この位置なら100%取れますよ。」という心強いものでした。
この言葉を聞いて私は、パパの倒れたあの日からずーっと背負っていた荷物を
全部おろしたような気分になりました。
この先生に出会えてよかった。この先生についていこうと思いました。
当時やっていたTVドラマDr.コトーのような先生です。

次の週パパも一緒に先生に会いに行き、私達が聞いたのと同じ話を聞きました。
それから詳しい検査をするために岐阜へ行ってほしいと言われました。
メチオニンPETと言うその検査は、腫瘍細胞がアミノ酸の一種であるメチオニンの取込み具合で、腫瘍の程度、最も活発に動いている場所(HOTな部分)等がわかる検査だそうです。


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