未来を信じて

ダンナは私たちの太陽!

もう6月…

2010-06-09 11:23:50 | 日々のこと
忙しい毎日であっという間に5月も終わり…

5月は結婚記念日がありダンナの誕生日がありとイベントごとがあったものだから
いろいろ思い出しちゃいました。

去年のゴールデンウィークは家族でばあちゃんの田舎に行ったなぁとか
去年の5月12日に東京の病院に再々手術のため入院したなぁとか
手術までの間に外出許可をもらって渋谷でデートしたなぁとか
誕生日は病室で一緒にコンビニのケーキ食べてお祝いしたなぁとか
ちょっとおかしな事言ったりもしてたけどきちんと意思疎通は出来てたあの頃…

亡くなった時から今までよく思い出すのは、病気になってからのダンナでした。
思い出したくないはずなのに頭に思い浮かぶのは病院のベットにいるダンナ。

元気な頃のダンナに会いたいデス。

しんみりになってしまいました。。。

子どもの事に小学校の家庭教育学級のことや内職の事で考え込んでる時間もあまりないんですケド

去年は実が生らなかったさくらんぼが今年はたくさんできました。
甘みはそれほどでしたが、子ども達はよろこんで食していました♪


家庭教育学級ってどこでもやってるのかしら?

2010-05-04 21:30:03 | 日々のこと

毎日があっという間に過ぎていきます。

姫はまっさらのランドセルを背負って小学校へ元気に通っています
おにいもチビちゃんも進級しお兄ちゃんぶって、ちょっと格好つけちゃったりしてます

私は…毎日元気にしています
いろんな時もあるけれどダンナのいないにも慣れてきました。
慣れてきたといいながら、この間はダンナを入れた7人分のおかずを作っていたり
なんて事もしていますが

最近内職を始めました
を稼ぐ事に重きを置いていたら外に働きに行きますが、チビちゃんも幼稚園だし
お義父さんお義母さんにお世話になっているお陰でそれほどお金にも
困ることなく過ごせています。
にいてボーッとテレビを見ている時間が微々たる物でもお金になるし
なによりする事があるというのはなんだか楽しいものです
チビちゃんの幼稚園のママ友からの紹介で、楽しくおしゃべりしながら内職したりもします。
みんなとつるむ機会ができた事はとってもうれしいんです

内職で結構忙しいのに、小学校のお兄ちゃんの学年で学級委員になりました。
これは先のことを考えて今やったほうが得策と思い立候補したのです。

1年生から3年生まではクラスの学級委員だけでなく「家庭教育学級」の運営委員も兼ねています。
「家庭教育学級」は生徒の保護者が学級生となり、家庭教育や、子供達とのふれあい、
保護者自身のリフレッシュにつながるような学習会を年に10回ほど行っていくのです。
これは全国共通なのかな

各学年各クラスから2名の学級委員(うちの小学校は2年3年ともに1クラス、1年生が2クラス)
8人の学級委員の中から学級長、副学級長、書記、会計が決まります。
学級長以外ならどれでもやるつもりでした。
話し合いもしてみたけど結局決まらず…
くじ引きで見事大当たり………
たぶんあたらないだろう私はならないよなんて思っていたらなってしまいました

頼りないよ人前で話すと緊張して何話してるかわからなくなるし迷惑掛けちゃうかも
決まって2日ほどはどんより気分でした。

でも5月中旬までに年間のスケジュールをたて、講師の手配、日程調整、など決めなくては
いけないことがたくさんあって
どんよりしているヒマはありません
自分に気合をいれ頑張っていきますよ


姫の卒園式

2010-03-22 11:21:09 | 子供のこと

3月18日
姫の卒園式でした。
前日までの雨がやみとてもいい天気に
友達からの卒園おめでとうメールに
はダンナさんからのプレゼントだねと

本当に
ありがとう

おにいの時はダンナがビデオ撮影係で私はゆっくりと式を堪能したので
だったのに
ビデオを撮りながらは感動にひたることも出来ず
それでも卒園の園児達がお別れの歌「さよならぼくたちのようちえん」を合唱し
その後卒園児保護者代表の言葉で

いろいろあった2年間。
ダンナに付き添っていて、園の行事に私が参加できなかった事も。
それでも姫はどうして来てくれないのと困らせるような事は言わず。
たくさんの我慢をさせてしまったなぁと思うとまた泣けてきたのでした。

恵まれていた事は、先生方もとてもよくしてくださり、同じクラスのお母さんたちも
何も言わずとも自然と姫のフォローをして下さっていたのでした。
本当にありがとうございました



満月だった…

2010-02-05 16:27:10 | 日々のこと

ダンナがいなくなってから4ヶ月が経ちました。
前向きな気持ちではいるものの相変わらず寂しさで涙するときもあります。
でもこれでいいと思います
いい時も悪い時もすべてが私だから、無理をせず自然にいきたいと思っています

こないだの満月はとってもキレイでした
今年に見られる満月の中で最大だったとか…火星も接近していたらしいし。
天体は興味はあるものの知識がなく、調べてみて「へー」、「ふーん」と感心することが
沢山あります。

ダンナを想ってか無意識のうちに空を見ることが増えた最近
明るい昼間はきれいな空や元気な太陽を見てうれしくなったり、夜には星を見たり
月を見たり。
特に満月は特別です。

ダンナのお葬式が終わって皆さんをお見送りしている時、ふと見ると山の重なった所に満月がでていたのでした。
本当にキレイでした
ダンナがキレイな満月をプレゼントしてくれたようで…
だからそれからはかかさず満月を見ています

ちなみに1月は2回満月がありました。
ひと月に満月が2回ある2度目の満月の事をブルームーンと言うそうです。
平均して19年に約7回、およそ33ヶ月に1度の頻度であり、今年は1月と3月にも
あるそうです。
また楽しみに見たいと思います


たくさんのコメントありがとうございました。

2010-01-07 16:19:01 | 日々のこと

あれから3ヶ月が過ぎ、新しい年になりました。

葬儀が終わった後や1ヶ月が過ぎた頃、四十九日が終わったらなどと節目にブログを
始めようと思いながらもやはり気持ちは進まず、今日になっていました。

なにがなんだかわからないまま終わってしまった葬儀。
ダンナの友人達は通夜の晩、ずっとダンナについていてくれました。
参列者は通夜と合わせて400人超の方が会いに駆けつけてくれました。
本当に最後までお世話になりっぱなしで…ありがとうございました。

四十九日の段取りなどで忙しかった日々も終わってしまえば、自由になる時間が
たくさん出来ました。
子供達もまだ小さいとはいえ、ずっと引っ付いているほどでもないので
自分の時間が出来るといろいろ考えたりして寂しさが増したりもしました。

特に子供達が寝た後。
だからダンナがいたときから好きだった(ダンナも好きだった)バラエティー番組
遅くまで見てたり、小説を読んだりして過ごしています。
ダンナと深夜にDVDを見たりしていた時もあって、次はこれを見ようと言っていた
DVDが何枚かあるけど、一人で見るにはまだ少し時間がかかりそうです。

子供達は子供なりに納得しているのか、ふさぎ込んだり泣いたりする事はなく
会話にもとうちゃんが登場したりして現状を受け止めて生活しているようです。

2009年のクリスマスはサンタさんからではなくとうちゃんからのプレゼントが
届きました。
これもダンナの友人と私との連係プレーで、子供達も妙に納得していました

行事があると、つい去年の今頃は…とか思い、気が緩むと涙が流れます。
年越しもそうでした。
子供達はがんばって23時くらいまで起きていたのにダウン
どうして一人で年越しライブの中継を見ているの?
どうして一人でカウントダウンしているの?
なんて思いがあふれ涙の年明けとなってしまいました。

それでも毎日、フツーに生活し寂しくもありながら頑張っていこうと決意の日々を
過ごしています。

常に何かする事を見つけていこうと思い、まずは子供の写真の整理。
長年無造作に箱に入れてあるだけなのでお兄ちゃん、姫、チビちゃんとアルバムを
作ろうと思っています。
写真見ながらまた涙するかも

自分の時間も少し出来るようになったので好きな事をやっていこうとも思っています。
読書
ミーハーですがただ今東野圭吾さんにはまっていて全巻そろえようなんて意気込んでいます。今で1/3ほど読破しました。
それとソーイング
いらなくなった服やはぎれなどで簡単な小物を作ったりも、もっと力を入れて
やろうかななんて思っています。
とってもお見せできるほどの代物ではないのですが。
自己満足で楽しみます。

なんだかとりとめもなく書き綴ってしまいましたが、毎日いろんな事を思い、感じ
子供達と共に成長しながら前に向かって生きたいと思います。

最後になりましたが
みいねぇさん、
わたしさん、
Aさん、
たけちゃん、
RCさん、
ともさん、
Akikoさん、
ぽっちゃん、
なつきさん、
ゆーきゃんさん、
TOSHIさん、
みっちぃママさん、
Mioさん、
凛さん、
モアさん、
そよかぜさん、
やーたんさん、
jiveさん、
たんぽぽさん、
あみさん、
ちくあきさん、
忘れな草さん、
きぼうさん、
かめさん、
清子さん、
はっとさん、
はなさん
コメント、本当にありがとうございました。
やはりどうしてもダンナに対してもっと何か出来たのではないかと思ってしまう事が
たくさんありましたが、皆さんのコメントを読んで精一杯の事ができたのかなと
思うことが出来ました。
前に向かせてくれた大切な言葉ばかりでした。

これからもここへ家族を綴っていこうと考えています。
どれだけ続くかわかりませんが、自分の思いや子供達の自慢など
綴っていこうと思います。
よろしくお願いします









旅立ち

2009-10-04 09:16:38 | 退院~大阪の病院に入院

10月1日までサチュレーション等とても落ち着いていたダンナ。

2日にいつもどおりダンナに会いに行くと、明らかに今までと違う呼吸状態でした。
呼吸回数が少なくなり、必死で酸素を取り込もうと深い呼吸をしていました。
昼過ぎに一度サチュレーションが下がり、たいへんな状態になりましたが、
看護師さんたちが向きを変えてくれたりして、一旦落ち着き、様子を見る事に
しました。

その後、呼吸状態は変わらずでしたが、サチュレーションは少し落ち着きました。

でも夕方からまた悪くなり、家族がこちらへ向かっている最中、本当に最後まで
頑張りぬいて、19時44分、旅立って逝きました。

私がそばにいるときを選んでくれた事、頑張ってと声を掛ける事も苦しいほど
頑張り抜いた事、最後は自然とありがとうと言葉が出てていました。

昨日のお通夜ではたくさんのたくさんの方がダンナに会いにきてくれました。
本当にありがとうございました。

今日の13時から告別式です。
まだ信じられない気持ちでいっぱい。
お別れをするのが辛く、このままでもいいから時間が止まってくれないかな
なんて思っています。

皆さんからの支えがあってこそ、私達は頑張ってこれました。
感謝の思いでいっぱいです。

穏やかな寝ているようなダンナの顔を見てきます。


ありがとうございました。

 


入院55日目~61日目

2009-09-27 21:36:48 | 退院~大阪の病院に入院

この前状態が悪くなってから、約10日が経ちました。

その時は、呼吸する事がとても苦しそうで辛そうで見ているほうも辛かったです。
でもその状況から抜け出し、だんだんと落ち着き、酸素や呼吸数、脈拍等が
どんどんいい数字になっていきました。

この1週間はホントに落ち着いていてスヤスヤと眠っているような感じです。
小さな波はありますが、穏やかな時間を過ごせています。

でも1つだけ…9月24日にまた顔にだけけいれんがおきました。
右側のほっぺたから始まり、口へ、そして顔全体に広がり、まぶたもピクピク
していました。
あごのガクガクまではいかず2分くらいでおさまりました。
始まってすぐに看護師さんを呼んで一緒にいていただきました。
おさまってから血圧を測りましたが、特に異常なし。
酸素等も問題なしだったので、何もせず様子を見る事になりました。

その後も問題なく数値も安定していました。

祝日には子供達も一緒に行き、家族団らんをしました。
お兄ちゃんもだんだんと状況に慣れてきたのか、いつもならなかなか寄ってこないのに
今回はすぐにとうちゃんの顔を見るため、そばに寄ってきてました。
機械の説明をしたので数値がイイのを見て
「とうちゃん、頑張ってるやん!」と言ってました。
帰りにはこっそりと「とうちゃん頑張ってるからボクももっと頑張らんな」なんて
嬉しい事を言ってくれていました。

本当なら今日も連れて行く予定でしたが、3人とも鼻グスグス、喉は真っ赤
咳はコンコンなので取りやめにしました。

早く治さないと、病院にもいけなし、運動会も出られなくては困ります。
ちなみにお兄ちゃんは10月3日。
姫とチビちゃんは10月10日。
その後も市民体育祭や地元のお祭り等でイベント盛りだくさんだから。

とうちゃんには運動会で頑張れるようにしっかり祈ってもらわないとネ!


入院53日、54日目

2009-09-20 21:37:57 | 退院~大阪の病院に入院
コメントを下さったみなさん。
本当にありがとうございます。
お返事出来なくて申し訳ありません。
読みながら涙し、支えていく力をもらい、勇気ももらっています。

9月19日
お義父さんとお義母さんが病院へ行きました。
昼から夕方に掛けては落ち着いていたようでしたが、そろそろ帰ろうかなんて
話していると、だんだんと熱が上がってきて、脈拍も150台まで上がり、酸素も不安定な
状態になったそうです。
心配で帰るに帰れず、もう少し様子を見ていて、比較的安定してきたそうです。

9月20日
みんなで車で病院へ行きました。
「とうちゃん来たで」と言いながら顔を覗き込んで、次にモニターを見ると
驚くほどいい数値でした。
脈拍は100ほどなので普通の人と比べると多いですが、まだマシなほうです。
血圧も正常。
酸素も99,100を維持しています。
呼吸も静かにスヤスヤと寝ているようで。
この間のしんどそうなのが嘘のようでした。
子供達もいい数字に喜んで「とうちゃんがんばってるねんな」と言ってました。

落ち着いて、楽そうなダンナの顔が見れてホントに良かったです!



入院48日目~52日目

2009-09-18 21:58:44 | 退院~大阪の病院に入院

9月14日
珍しく平熱。
血圧が90/60と少し低めだけどおしっこもでてるし、酸素の値も安定していました。

9月15.16日
また熱が上がってきて37度後半。
血圧は問題なし。
酸素は吸引とかして一時的に下がるけどすぐに回復し、すやすやと寝ているようで
呼吸も楽そうな感じでした。
酸素が安定していると、顔を拭いたりひげを剃ったりするのがとってもやりやすいです。
水曜日にいつも来てくれるお友達が来てくれました。
ありがとう。

9月17日
楽そうだった呼吸が少し辛そうになっていました。
いびきのようにがーがーと音をたてて呼吸する事が多くなり、酸素も下がると
なかなか上がってくれません。
昨日まで100となっていた値が今日は98までしか上がってくれませんでした。

9月18日
子供たちが学校や幼稚園へ行って一段落したころ、病院から電話がありました。
呼吸状態が明らかに悪くなり、酸素の値も80台にしか上がらないとの事。
2時間かかる距離も考えてくださった上で、早めに来れたらおいでと師長さんからの
電話でした。
義姉と病院へ向かいました。
運転もしてくれて、時には涙しながら話したり、話題をそらしてくれたり、心強かったです。
一人で電車で行ってたらどうなってただろうと思いました。

病室に入ると昨日よりもつらそうな呼吸の仕方でした。
肩やあごで息をしてるといった感じで、舌根が落ち込んでいるのでガーガーと
すごい音でしんどそうでした。
酸素は80台をうろうろ。
心拍数は140から170台で驚くほどの早さです。
呼吸も浅いので回数が増え、通常の倍以上の回数でした。
唯一、血圧だけが正常値。
それ以外は異常値なので機械のアラーム音がなりっぱなしでした。

こんな状態が14時半頃まで続き、熱も40度まで上がり、顔には汗が吹き出ていました。
私は何も出来ず、ただ手を握り声をかけ、汗を拭いてあげる事しか出来ませんでした。

何度か吸引してもらったお陰か少し呼吸が楽そうになると、少しずつ酸素の値も
上がっていき夕方には90台後半で落ち着き、熱も少しだけ下がりました。

この頃には家族みんなそろい、「とうちゃん!」と子供達が声をかけ、手や足を
さすってくれていました。

落ち着いてきたし、今日はばあちゃんが夜までついてくれるというので、子供達と
とりあえず家に戻りました。

ダンナも子供達も、みんな頑張っています。
ダンナには頑張ってもらいたい、ケド辛そうな姿を見るのはイヤだしさせたくない。
だからなんて声を掛けていいかわからないです。。。
ここにいるよ。そばにいるよ。みんないてるよ。と伝えていました。







入院43日目~47日目

2009-09-13 21:41:20 | 退院~大阪の病院に入院

9月9日、10日と比較的安定していました。
酸素の量も数値が一定だったし、体温もそれほど高くなく、血圧も問題ナシでした。

だだ10日に痙攣がおきました。
顔面だけで3分程度。
右のほっぺたがヒクヒクしてると思ったら、くちびるがピクピクと引っ張られてる感じに
なりました。
ちょうど看護師さんが廊下を通られたので呼び止めて、すぐに病棟担当の先生も
きてくださいました。
口やあごがガクガクする様な状態がしばらく続き、おさまりました。
幸い大発作になる事はなく、酸素の量を少し増やして、投薬等もナシですみました。

ただ大発作が起きる可能性も高いという話をされていました。

もう痙攣は見たくないと思っていたのに…
でも看護師さん、先生がついててくださったので、一人のときより何倍も安心でした。

9月11日、12日は体温が37度前半から後半あたり。血圧は問題なし。
ただ酸素量が不安定になるときが…
体の向き替えを2時間ごとにしてくれるのですが、そのときに吸引した後、酸素量が
かなり下がりなかなか回復してくれません。
1時間くらい掛けて回復し、落ち着いてよかったぁとホッとすると、また次の向き替え
という繰り返しです。
痰がかなり絡んでいるみたいで、吸引してもすべて取り除く事は出来ず、それに
邪魔されてうまく酸素の取り込みが出来ていないようです。

腫瘍でいっぱいになって、かなりの圧迫で脳圧も上がっているだろうし、脳幹部にも
腫瘍が浸潤している状態で、ダンナは毎日毎日頑張って踏ん張って呼吸してくれて
います。

その頑張りに答えるためにも、子供達と会わせたいなと思っていました。

学校等が始まってなかなか連れていけず、10日ほど会っていませんでした。
なので今日、子供達を連れてダンナに会いに行ってきました!
一応日曜日はお義父さんお義母さんが行ってくれているのですが、
会わせたいという私の気持ちと、姫の「電車でとうちゃんの病院に行ってみたい!」
という言葉で即決しました。

田舎暮らしの私達はどこへ行くにもほぼ車で移動なので、子供達もなかなか電車に乗る機会がありません。
子供達の心に強烈に印象深く残る事と思います。

病室では個室というせいもあり、子供達がいつもどおりで(騒がしいという事)
気をもみながらも、家族で家にいるみたいやなぁと話していました。

かわいいわが子のパワーは届いたでしょうか?
明日からはかわいい私が会いに行きます。
待っててネ!