1993京展「家族の食卓」
私は小さい頃から家業のため、家族一緒に食事する事はあまりなかった。
いつもみんなバラバラの時間に交代で食べていたのだ。
テレビの中の食卓では夕方家族揃って食べているのに、
なんでうちはいつも夜遅くにバラバラに食べるのだろうとも思っていた。
いつも両親は仕事に忙しく、食卓はいつ座っても何か食べ物があったものだった。
いつしか家業が傾いた時、
そんないつもの食卓がなくなっていった。
以前はいつも家族の気配がしていて、
家族一緒でなくとも家族を感じられた事に気がつく。
無くなってから、無くしたものの大きさを知るのだ。
父が亡くなり、実家も処分して、私は戻るところもなくしてしまった。
その時の家族も、みんな独立してバラバラになった。
今ではこんな家族の風景がなくなったのだった。
私は小さい頃から家業のため、家族一緒に食事する事はあまりなかった。
いつもみんなバラバラの時間に交代で食べていたのだ。
テレビの中の食卓では夕方家族揃って食べているのに、
なんでうちはいつも夜遅くにバラバラに食べるのだろうとも思っていた。
いつも両親は仕事に忙しく、食卓はいつ座っても何か食べ物があったものだった。
いつしか家業が傾いた時、
そんないつもの食卓がなくなっていった。
以前はいつも家族の気配がしていて、
家族一緒でなくとも家族を感じられた事に気がつく。
無くなってから、無くしたものの大きさを知るのだ。
父が亡くなり、実家も処分して、私は戻るところもなくしてしまった。
その時の家族も、みんな独立してバラバラになった。
今ではこんな家族の風景がなくなったのだった。