40年前、骨接ぎ学校に入学すべき上京した
現在の学校は渋谷の桜ケ丘の坂の上に素晴らしい高層ビルになっているけど
僕が入学した当時は国道246の歩道橋近くの古い校舎だった、あくる年から坂の上の桜ケ丘に移った
アパートを探すのに入学式前の3月初めの早い時期に上京して
学校の向かいに小さな不動産屋があって聞いてみると・・
「ああ、良いのがあるよ、最近空いたばかりだよ」と言う
聞くと、ここから徒歩5分だと言う
さっそく不動産屋に連れられてアパートを見に行った
渋谷の駅とは反対側に桜ヶ丘の坂を下りてまた狭い坂道を上る
住所は鉢山と言ってやはり山が付いてる
小さな路地に入ると左手に有刺鉄線付の柵で囲われた広い芝生の敷地があって
木の枝に吊らされたブランコに座って外人の子供たちが遊んでた
どこか外資のアメリカ人住宅なんだそうだ
それからまた狭い坂道を上り、登りきる途中にそのアパート泰山荘があった
アパート前から振り返ると目線と同じ高さに桜ヶ丘のビル群が見えた
アパートの門を入ると自転車が何台か止められる小ぎれいな庭があって
空き部屋は玄関を入ってすぐの四畳半の部屋だった
一階は3世帯で隣の部屋はフリーのカメラマン
向かいの部屋はヒルサイドテラスにお店を持つ陶芸家の女性が仕事部屋として使っていた
学校から5分と言う事もあり、すぐその日に契約した
隣は大家さんのお宅でアパートの坂の下にあたるんだけど
アパートと同じ高さの建物を建てると盛り土があって
僕の入った部屋は窓を開けると盛り土の壁で
部屋は昼間でも灯りが必要だった
それでも家賃2万7千円はこの場所で破格の値段だった
たぶん現在でもこの辺りは住宅地としては坪単価日本一ぐらいだろう
今日も何だか肌寒いね
もう紅葉かな?紅葉って言えば原宿のケヤキ並木なんかインスタ映え?するかな
上京した40年前、
田舎者の渋谷と言えば公園通りの坂道をNHKの放送センターから代々木公園方面に向かった
あの頃、休みの日には原宿の歩道橋辺りで竹の子族が踊っていた
僕にはまったく興味が無かったけど
上京してどれくらい経った頃だったろうか
夜間の骨接ぎ学校の同級生で日体大の柔道部の監督かコーチだった人が
「知り合いが表参道にスパゲッティの店を出したから連れて行ってあげる」
と言うので数人の同級生と連れて行ってもらった
表参道のどの辺りか今ではまったく思い出されないけど
テーブルがお店の外に置かれていて
その前の通りをおしゃれな若者達がそぞろ歩いてる
スパゲッティが母親が作っていたトマトケチャップじゃ無いんだ
現在で言う‘パスタ,なんだな
夜の表参道、青山通り
きらびやかで幻想的でおしゃれで
ここがかぐや姫の歌う‘アビーロードの街,なんだ
田舎者は驚いたね
前の年、大阪で誰かにごちそうになったのは鶴橋の焼き肉屋だったけど
全然、おしゃれじゃ無かったね
1982年
バブルが始まった頃で
現在と違って誰しも浮かれてた