HIROZOU

おっさんの夜明け

ネギが無かった

2014-02-28 14:35:33 | 朝ごはん

               

今朝はサバの塩焼き、オクラに納豆、肉じゃがにウィンナ、お吸い物は永谷園です。

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具だくさん

2014-02-27 18:12:58 | 朝ごはん

                   

今朝はうどんにしました。

具材は鶏肉に卵、ワカメにネギ天かすにフィリッピン産のオクラです。

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国産は貧乏人には食べられない

2014-02-25 20:11:15 | 朝ごはん

                          

久しぶりに朝ごはんの写真を撮りました。

最初の大雪の日・・以来ぎっくり腰で朝のウォーキングに出ていません

今日あたり腰の調子は良くなったんですが

行かなくなったら何となくおっくうで

最近‘オクラ,は日本産より外国産の方が圧倒的に多いですね

今朝はタイ産ですがフィリッピン産はまだ安いんですね

TPPとか交渉事が難航していますが

日本の農家はとっくの昔に安い外国産の攻勢にさらされてますね


               

先々週の土曜日、昼頃の職場の前の道路です。

雪が雨で溶けて道路が川のようになりました。

20数年ここで仕事をしていますが

初めての出来事でした。

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行きたくない

2014-02-21 14:31:00 | Weblog

雪かきで痛めたぎっくり腰が再燃した

考えて見ると去年の12月からずっとどこか調子が悪い

風邪だったり歯痛だったり

まっ!大病じゃないだけありがたいが

今日は夜にチバまで行って研修に参加しなくちゃいけない

普段‘ひきこもり,のような生活をしてるのに

腰痛だけじゃなく電車に乗るだけでも苦痛だな

研修に参加すると

日当が貰える

たまには安酒ばかりじゃなくて回らない寿司でも食って来るか

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仕事をせにゃ

2014-02-18 14:52:29 | メモリー

テレビを見るのは朝飯の時か旅番組ぐらいでほとんど見ない

今朝の7時にテレビをつけたらどこのチャンネルもほぼジャンプ一色

過剰なまでの演出、秘話とか身内の話とか

涙と感動をむりやり押し付けようとしている

自分がここで感動しなくちゃいけないのかのように

面白くもないお笑い芸人が失敗談とかをしゃべると演出効果の笑い声がバックでBGMで流れてくるがこれと同じ

それに合して出演者が一斉に笑う

テレビの司会者が何だか知らない評論家かコメンテイターか何かに話を振ると

うんうんと頷きながらうんちくをたれる

それに対して他の連中もうんうんと頷く

誰も一応に反論しない

まっ!評論家とか批評家なんて反対してなんぼやもんな

それに誰かが反論なんかしたら時間内に終わらない

事実は事実として伝えればいい事だと思うんだが

最近のテレビは過剰なまでに演出をしている

少女は翼が欲しいと言った・・・

少年は鳥になった・・・

過剰なまでの演出や批評は時として滑稽にうつる

なんせ、一方通行の垂れ流しなんだから

まるで負け犬の遠吠えのように

愛は地球を救う・・

(わしは良く足はひっぱられるが)

表面の体裁ばかりで腹の中は真っ黒

こう言う綺麗ごとを言ってる連中に限って

戦争反対、子供たちを戦争に出すな

とか言っておきながら

知らないうちに鬼畜米英とか言い出して

わしのような協調性に足らない人間は非国民とか言い出されちゃうんだよな

・・・

小さい頃はテレビ小僧だった

外で皆とカンケリやかくれんぼをするより

家の中で一人テレビを見ていたかった

ひみつのアッコちゃんに

巨人の星

新日本紀行なんかもよく見てた

雪の降らない土地だったから

雪の降る青森の生活、藁靴にもんぺ、ちゃんちゃんこ

吹雪の青函連絡船

知らない土地を見るのが好きだった

いちばん好きだったのは

沢たまきのプレイガール

もうわくわくしながら

話の内容なんかより

ミニスカートをはいたお姉さんが白いパンツまるだしで

上段ケリなんか見せられた日にゃ


そろそろ午後の仕事にかからんと

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風呂屋にでも行くか

2014-02-16 10:23:09 | メモリー

今から30数年前、めずらしく大阪に雪が降った、所々の残雪を避けながら

僕はなだらかな坂道を上っていた。

その日は大学の合格発表があってその大学は丘の上にあった

2度目の受験だったが受験勉強はほとんどしていなかった。パチンコに明け暮れる毎日だった

それでもランクを落として臨んだので期待していた。大学に入って勉強がしたいとかこれっぽちも考えていなかったとりあえず4年間は働きたくなかった。

それに大学に入ったらおしゃれな生活が出来ると思っていた

掲示板にたどり着き受験番号を確認したらやはり無かった

(やっぱりあかんかったか)

またもと来た坂道を歩いてトボトボと帰路についた、その時もパチンコに負けてバスに乗る金も無かった

夢遊病者のように帰り道を歩いていたら生意気そうな高校生3人ぐらいが立ち止って僕の方に向かってにやにや笑ってる

(なんやこいつら、こんな時に)

僕はこう言う時はけっして怯まないがその時の状況が悪かった。

その内の一人が僕に向かってこう言った

「兄ぃちゃん、チャック開いとるで」

たぶん、その時は2月の中頃だったろうかその年の3月4月は何をしていたのかさっぱり覚えが無い


就職をしないし受験も失敗となった現状、結局バイトぐらいしか選択肢は無かった

心の底ではもう1年や2年ぐらいなら親が面倒を見てくれるだろうと言う甘い考えがあった事は確かだ


しょんべん臭い三角公園近くで汚いドカチンのかっこうして立ってたらガラの悪そうなオッサンが寄って来て話かけて来た。

「にぃちゃん何してんねん、仕事世話したろか?」

「いや、今仕事してますねん」

「何の仕事やねん」

「他の連中が今、昼飯食いに行ってるさかい、お前残って現場で見張りしとけ言うもんやから・・」

「見張ってないと道具を盗まれるからって」

「そんなもん盗むやつおるかいな、この辺は紳士淑女ばっかりや、それよりええ仕事紹介したるわ」

「住み込みで三食賄付きでいちんち5千円や、半年もおったら倉建つでぇ~どや?」

「僕ぅ・・いいですわぁ~」

「それやったら・・事務仕事どうや?電話番やけど掃除はせなあかんけどな」

「僕ぅ・・ええですわぁ~」

とかなんとか話をしていたら先輩のハゲのシゲやんが戻って来た。

おっさんはどっかへ行った

シゲやんが
「お前あんな話に乗ったらタコ部屋に売り飛ばされるかヤ○ザの事務所で電話番させられるとこやったぞ」とか言った

職場にはいろんな人間がいた

ハゲのシゲやんは仕事を覚えて独立した。いろんな奴をひっぱって行ったが僕には声がかからなかった

吉原さんはすごく人が良くて皆に好かれていた。気が小さな人だったが給料を貰うと皆に奢って一晩で無くした。
お金がなくなると皆、知らん顔してた
ある日、夜逃げをしていなくなった。

正社員で入ったキシ君は頭が良かった。愛想もいいし身なりもきちっとして公務員向きだなっと思ったが彼には欠点があった
上司や先輩に頭が下げられなかった。必然あいつは生意気やと言う事でイジメを受けだした。キシ君はとっとと仕事を辞めた
親の仕事の後を継ぐとの事だったキシ君の親は大きな組の○長だった

在日のとうはら君は間寛平似で女好きだった。
「ミナミにひっかけに行こうや」って言うんで
よく戎橋に一緒にでかけたがひっかけた例が無かった
「キタの方がええんちゃうか」とか言っていたが
たぶん、キタでもミナミでも同じだった二人とも貧乏人丸出しだったから

同じバイトに同い年のウメがいた
彼は関大の二部学生だった。
彼と二人してこの仕事を辞めて後に一緒に和歌山のホテルに住み込みのバイトに行った

一つ上の正社員にオシタニさんがいた
彼とはアパートも近かったので何かとお世話になった
このあくる年レンタカーを借りて彼の運転で大阪を出て東京に向かった

僕がアルバイトをしていたその会社はその後、一流企業になって今は大卒しか採用してないらしい、あの頃の人達はたぶん今は誰もいないだろう

その頃この歌が流行っていた




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あんにゃろう

2014-02-13 19:07:22 | メモリー

小学校の校舎は戦前に建てられた古い木造で薄汚れた廊下は所々板がはがれていた

校舎は渡り廊下で古い講堂が繫がっていて講堂の隣が音楽室だった。

音楽室には古いピアノが一台置かれていていつも教師がへたくそな演奏をしていた

音楽室の裏は陽の射さない鬱蒼とした木立ちで子供達が立ち入るのを拒んでいた

渡り廊下と校舎の間に給食室があっていつも不味そうな匂いが漂っていた。

教師の誰かがお気に入りなのか給食の時間はいつも放送でペルシャの市場が流れていた。

低学年の頃は活発な明るい生徒だったと思う学芸会も目立った役を貰った

しかし進級につれ段々と性格も変わって来たように思う・・

小学校の4年生の時か


「けっ!このボケッ!~カス!」

「アホ!」

毎日、持ち前のだらしない性格と緊張感の無さから担任によくどやされた

どやされるだけじゃ無くげんこつをよく喰らった

年中忘れ物をして授業中はうわの空だったから目立ったんだろう

それにも増して教師がどやしやすい対象だったんだろう

「ええか~このボケ!そうやって年中しょーたれとれよ」と言われるたびに叩かれた

この担任は同じようにだらしがなく

対象が僕より大きかった同級生の‘かあ君,を叱る時には‘ケリ,を入れていた。

文字通り‘殴る蹴る,が無抵抗な生徒に対して教室の一角で行われていた

僕は年中、ボケカスと言われていたからあだ名が‘ボケカス,になった

その頃、国語の時間に教科書の朗読をするんだが

何人か順番に読んでいって最後に誰が一番上手だったか生徒の挙手の数で決めるんだが何度やっても僕が1番で

2番はいつもユミちゃんだった。

業を煮やした担任が一度こんな事を言った

「ユミちゃんはいつも家で練習してくるんだが、ひろ造は宿題もやらない、ひろ造に手を挙げるのはおかしいやろ?」

そんな道理を担任は押しつけて僕に手を挙げる同級生はいなくなった

勉強はやらなかった

こすっからい?性格だったので一度こんな事があった

算数のドリルのテストがあったので机の下にドリルの答えを隠しておいて

カンニングしながら答案を書いていたら隣りの席のユミちゃんに見つかった

そうしたらユミちゃんが手を挙げて

「先生、ひろ造君がカンニングしてます。」って言った

鬼のような形相の担任が近づいてきて何度も殴られた

涙が出て来た

そうしたら担任が

「そのツラ、くるっと一周回って皆に見せろ」って言うもんだから

涙と鼻水を流しながらくるっと一周回って皆に見せた

あんまし悔しかったもんだから画びょうを担任の座布団に仕込んだ

僕以上に担任に叱られて叩かれていた、かあ君はクラスのイジメの対象にもなっていた

かあ君はイジメられるといつもニコニコしていた。

かあ君に一度

「俺の子分になれ」と言ったら

「誰がお前の子分になるかい!」と反撃された

かあ君は算数がクラスで一番よくできた

僕はこれでいて社交的な才能があったように思う

そんなちっぽけな才能を伸ばす事は

あの古い木造校舎な中では出来なかった

ちょっとだけセンチな思い出やな

ふふふ

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最近、サラダが登場しない

2014-02-13 11:43:09 | 朝ごはん

                                

毎朝伺う神社の梅の花がほころびだしました。

屋根にはまだ残雪が残っていました。ひょっとして明日また雪かも・・

             

今朝は鶏肉が一杯残っていたんで親子丼にしました。

卵は2個です。朝からお腹がパンパンです。

             

数日前の朝ごはんです。いつもと変わらず麦が少し混ざったご飯に海藻?

・・・です。

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若い頃のルミ子が好き

2014-02-12 19:19:28 | メモリー

母の入居している施設は山の上にあり部屋からは太平洋が一望できた

青い海ときらきら光る波、ピーヒョロとトビが空を舞い

潮風が海から吹き寄せる

先日、夕暮れに訪ねた際に部屋から漁火が見え

岬の沖合いに灯る幾つもの光は遠い記憶を甦らせた

遠い記憶の中の光


寒い朝、かじかんだ手をこすりながら台所の土間に入ると

だるまストーブの上ではシュンシュンとやかんが湯気立ち

グツグツと鍋の煮える音がする

漁から帰ったばかりの親父は鍋の具をアテに毎日決まってたった1本の小瓶のビールを空ける

決してそれ以上は飲まない

母は甲斐甲斐しく立ち回り漁の疲れを癒した


真冬のイカ漁

日の暮れとともに漁に出かけ

明け方に帰って来る

荒れた海でも雪が降ってもほとんど休まない

人が寝静まった晩

板子一枚地獄の漁場で働く

家族の生活が親父の肩に掛かっていた


日の暮れの浜からは沖に夥しい光が見え

そのうちのどれかが親父の船の灯りだ

陸から眺める穏やかな火と違って船上は戦場だ

厳しい自然との闘い


闘いが終わって鶏の一番鶏が鳴くころ港に帰って来る

出船、入船、港が活気づく


その日の獲物が朝飯のおかずだ


親父が漁から帰って朝飯を食う時間に我が家も始動する

山仕事に出る前に祖父が地下足袋を履いて鎌を砥ぎ


家の隣で雑貨屋を営む祖母が店のカーテンを開き

商品を陳列する

バレーボールの朝練に出る姉は自転車にまたがり

おっとり刀に兄が起きだす


白黒テレビからはニュースが流れ

飼い猫のミイが炬燵から顔を覗かしている


学校は集団登校

上級生は前を歩き下級生は後ろに着く


皆、お古のセーターにツギのあたった靴下

鼻水でテカテカに照かった袖

田んぼの畔に

登校途中の子供たちの笑い声がした


今、子供たちの声は聞こえない

田舎から人が消えた

実家の寒々とした家の中に介護1の親父が一人ベッドで横たわっている

そして

ベッドの脇に何代目か分からない猫のミィがいた


http://www.youtube.com/watch?v=uxd12g6ABKM


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初めての経験

2014-02-10 18:31:14 | Weblog

                 

昨日、旅行もスキーもしない僕にとって初めての大雪でした。

我が家の老犬にとっても

                

職場と隣のテナントそれに自宅と3件分の雪かきをやらされました。

今日は腰が痛くって靴下も履けません

まいったな

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