杞憂(きゆう)の意味は、
中国の杞という国に、天が落ちくると本気で心配して、なにもしない人がいた。
しかし、天は落ちてこなかった。
このように、ありもしないようなことを、いろいろと心配し過ぎること、
無用な心配することを、 杞憂 というようになったようです。
先日の練習時の法話で用いました。
私たちは絶対に死ぬのだ。
だから、死後に幸せになるのではなく、現世で幸せになりましょう。
今を大切に生きよう !! と。
その為に易筋行を行い、鎮魂行を行うのが少林寺拳法だと。
道訓の
・ ・ ・ 故に天地を敬い、神仏に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国法を守り、師を重んじ、兄弟を愛し、
朋友を信じ、宗族相睦み、郷党相結び、夫婦相和し、人の難を救い、急を援け、訓を垂れて人を導き、 ・ ・ ・
と導き、法話としました。
未来への不安を憂いて何もしないのではなく、
私たちの命には限りがある事を自覚して、不安に備えて準備して、夢を持って今日を精一杯生きる。
一休禅師は年の瀬に、
『 門松は 冥途の旅への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 』
と、シャレコウベと共に町中を歩いたとか。(日本昔ばなし より)