音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

文楽ー生写朝顔物語の場合

2017-09-12 00:24:39 | 日本の音楽
文楽についてドナルド・キーン博士は「文楽は脚本に多くの文学上の傑作が書かれた、世界で唯一の人形芝居である。」(吉田健一訳「文楽」、講談社1966年刊)と指摘している。確かに江戸時代、文楽からは近松門左衛門、河竹黙阿弥、他、多くの浄瑠璃作者を輩出した。そしてその作品は歌舞伎にも転用され、時代に合わせて少しずつ改作され今日に至っている。
また、文楽は人形劇でありながら、けっして人形が主役ではない。人形と浄瑠璃と三味線が一体となって構成される。人形は浄瑠璃と三味線に合わせて動いているように見えるが、それは人形が主で浄瑠璃・三味線が従であることを意味しない。生写朝顔話の嶋田宿笑い薬の段において笑い薬を飲んだ悪医者祐仙が七転八倒する場面では人形が自由に、しかしポイントでは義太夫と呼吸を合わせて動く。義太夫が絶えず舞台を牽引している訳でもない。人形や義太夫の伴奏をしているように聞こえる三味線が舞台をリードしている場面も多い。句を介して初めて出会った二人の男女が見つめ合う場面。無音空間を破り、この場面を取り仕切るのは太棹の三味線である。ベンという一撥によって動きの止まっていた義太夫と人形が生気を取り戻す。

国立劇場 第二〇〇回=文楽公演 2017年(平成29年)九月八日の公演を観た。

生写朝顔話は講釈師の司馬芝叟(しばしそう)が書いた読本「朝顔日記」を基に山田案山子の脚色で1832年(天保三年)に「生写朝顔話」として初演された。大名大内家の御家騒動を背景にした宮城阿曾次郎と深雪の恋物語であるが、そこには近松作品のような情念ではなく、純粋な恋が語られる。もちろん話の筋にはおなじみの義理や人情が絡んでは来るものの、それが二人の一途な想いを変えることは無く、むしろ恋の成就を支えている。これは、シェークスピア「ロメオとジュリエット」の恋に近い。外国船が度々開国を迫って現れ、政治的にも天保の改革を断行せざるを得なくなり、江戸文化も煮詰まってきていたこの時代の作品としては実に爽やかである。
阿曾次郎の『諸人の行き交ふ橋の通ひ路は、肌涼しき風や吹くらん』という句が深雪の手元に流れ着いたのが出会いの始まり。国元から御家の一大事との知らせが入り、その場は分かれたが、たまたま明石浦の船上で再会。二人は夫婦の契りを結ぶが、突然の大風によりまたも分れ分れに。別れ際に残した句『露の干ぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに』が三度目の出会いの縁となる。
ここからが、この作品の真骨頂。大内家の御家騒動を収めた阿曾次郎。今は駒沢家の養子となり、駒沢次郎左衛門となっているが、謀反を起こした残党に命を狙われる身。深雪は親の決めた結婚を拒否して家出し、阿曾次郎を探すが杳として会えず。泣きはらした目を患い、今は瞽女(ごぜ:盲目の芸能者)となり放浪している。そこへ、母の死を伝えるために深雪を探していた乳母浅香と出会うが人買いに襲われる。浅香は身を挺して戦い、ついに人買いを倒すが自らも深手を負い絶命する。この男と女の戦いの場面はなかなか見ごたえがあった。浅香が戦いで裾を乱し、通常は絶対に見せない女人形の足首が現れるほどだが、そこには微塵の色気もない。深雪を守るために奮闘する浅香の必死さが伝わってきた。この時深雪を守った浅香の守り刀が次の場で深雪の身の証となる。
浅香の刀を携えて訊ね来た深雪を引き取った宿屋の亭主 戎屋徳右衛門は浅香の父であり、深雪の父秋月弓之助の元家臣で、命を救ってもらった恩ある身だった。そこへ駒沢次郎左衛門と謀反の一味岩代多喜太(いわしろ たきだ)と医者萩の祐仙(ゆうせん)が投宿するのが嶋田宿笑い薬の段と宿屋の段。岩佐と祐仙は結託して阿曾次郎に毒を飲ませ、亡き者にせんとするも徳右衛門の機転により逆に祐仙が笑い薬を飲む羽目になる。この三分にも及ぶ笑いが太夫と人形遣いの腕の見せ所。萩の祐仙を遣った桐竹勘十郎はおみごと。まさに笑い転げ七転八倒、人形ならではの動きで楽しませてくれた。ただ、豊竹咲太夫の笑いは迫力に欠け残念。
ある時この宿で深雪は御座席に呼ばれ、筝を奏で『露の干ぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに』と歌い駒沢次郎左衛門と三度目の出会いを果たすが、盲目ゆえにそれが阿曾次郎であることに気が付かない。阿曾次郎は岩代多岐太の手前、名乗り出るわけに行かない。そこで阿曾次郎は出立の前に岩佐に気付かれないようにもう一度深雪を呼び出すが、折悪しく別の御座敷に出かけており、またもやすれ違い。深雪はお客が残してくれた品々からそれが阿曾次郎であることを知り、雨の中を直ぐに後を追う。この辺がこの作品の山で、胸に迫るものがある。私も目頭が熱くなってきた。
深雪は雨の中を一人で何とか大井川までたどり着くが、無情にも阿曾次郎は既に川を渡った後で、川は増水で川止め。希望を失った深雪は川へ身を投げようとするが、深雪を探していた奴(やっこ:元の使用人)勘助が追いついて引き留めます。時を同じくして追いついた徳右衛門は事情を聴くと自ら腹に刀を突きさし、深雪にその血で阿曾次郎が残した明国渡来の秘薬(甲子の血で飲めば万病に効く)を飲むように勧めた。そして彼は深雪の父秋月弓之助の家臣で命を救われた恩がある事、さらに自分は甲子の生まれであることを告げ絶命。眼が見えるようになった深雪は勘助と一緒に阿曾次郎、駒沢次郎左衛門、の後を追う。
最後はロメオとジュリエットとは異なり、希望に満ちたエンディングとなる。

この話の爽快さは和歌を軸にした前半の流れのスマートさと、男も女も夫婦になるという口約束に一部の迷いも疑いも持たない生真面目さにある。二人の思いを阻んだものは義理や悪意ではなく、三回とも運命としか呼びようのない偶然であった。
また、この話には文楽や歌舞伎でよくある「実はxxxだった」が少なく、話の流れが分かりやすいのも特徴である。宿屋の主人が実は深雪の父親に恩のある元家臣であった事くらいだろう。

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