音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

息子たちへ:自分の感覚を研ぎ澄まそう

2018-06-19 18:42:40 | つれづれに思う
我が息子たちへ;(2018年6月)

JR西日本で先日もまた、大事故につながりかねない人身事故(下記URL参照)が発生したのは知っているでしょう。
■異音後も運行、JR西謝罪 のぞみ破損、運転士マニュアル守らず

昨年も異音が発生していることを認識していながら運航を優先して運転を継続したが後の駅で台車に亀裂が入っていることが判明したという事件があったばかり。二つの事故に共通する問題は、運転手あるいは乗務員が異音・異臭を認識していながら自分の感覚よりも中央指令室の判断を優先し運航を継続したことにあると思う。これは、乗員の問題ではなく、現場にいない人の判断を優先する新幹線運行システムの問題である。
JR西日本は下記のような見解を出しているけれど、事の本質はマニュアルの理解度の話ではなく、運航に責任を持っている人間(この場合は運転手と乗務員)が持っている危険を察知する感覚を信じていないということにあるのだ。
■運転士は「マニュアル誤認か、気が動転か」 JR西会見

人間は長い生命の歴史を通して生存のために研ぎ澄まされた感覚をもって生まれています。それを無視して、システムやマニュアルを優先するというという発想はものすごく危険だと思わないか?
飛行機は一度離陸すると着陸するまでは機長が全責任を負うでしょう。だから、彼が何か異常を感じたら、自分の判断で、もちろん地上と連絡を取りながらではあるが、緊急着陸したり空港に引き返したりするでしょう。自分の判断でニューヨークのハドソン川に水着した機長もいました。でも時には異音がした、あるいは計器が一つ故障していたので空港に引き返したが調べてみると運航に支障はなかったというケースもあるかもしれない。それでも機長は空港に引き返した責任を追及されたりすることはないはずです。そんなことしたら、重大事故に繋がり、会社が大損害を被るだけでなく旅客の信用を失うから。つまり、機長の研ぎ澄まされた感覚と高い見識に基づく判断が運航継続よりも優先されています。これは極めて正常な運用形態だと思った。
それに対して、新幹線というシステムは軌道をすべて金網やトンネルで覆い、想定外の事故が起こらないことを前提にしたシステムであり、運転手や乗務員の感覚(判断)の優先度は低い。中央指令室というところで、すべてを管理しているので、効率的ではあるが想定外の事故に対してきわめてぜい弱だと言えます。

実は福島の事故にしても同じような判断ミスが重なっている。何百年に一回かもしれないけれど大津波が来ることは歴史があきらかにしているにもかかわらず、立地を検討する段階で、原子炉が運転している期間にそれが起こることは公式的には想定しなかったことになっている。だが、本当に誰も大津波の危険性を考えなかったのだろうか。技術者の中には、それを指摘した者が一人ならず居たはずだと思う。ただ、その時点では、そんな危険性は全く無視され、その意見は顧みられることは無かったのだろう。

誰がどんな感覚に優れているか、それは一人ひとり異なっているだろう。僕は、君たちには自分の感覚を研ぎ澄ませ、それを信じで生きてほしい。たとえその判断が世の中や会社の主流とは異なっていたとしても。

話はちょっと飛ぶが、復活祭(イースタ―)の朝に亡くなった歌手であった叔母の94年間そんな人生だったし、生涯それを貫き通したのだ。そして世の中が叔母の後から恐る恐るついてきた。つまり音楽の前衛だった。おかげで身内である我々はしょっちゅう振り回され、離れていった友人もたくさん居たたけれど。でも、我々は彼女から教わったのだ。かけがえのない生き方を、そして演奏のあり方を、自分の感覚を信じることを。

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