音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

ソポクレス「エレクトラ」 と リヒアルト・シュトラウスのオペラ

2024-07-06 12:14:04 | つれづれに思う
ソポクレス「エレクトラ」 と リヒアルト・シュトラウスのオペラ
       *ギリシャ悲劇の登場人物の日本語表記は
        ソポクレス「ギリシャ悲劇 II」(ちくま文庫)による。

ソポクレス作のギリシャ悲劇「エレクトラ」のあらすじはこうである。
父であるミュケナイの王アガメムノンを殺した母クリュタイメストラと情夫アイギストスにエレクトラが弟オレステスと組んで復讐するというもの。ただ復讐の相手が実母であり、エレクトラと妹クリュソテミスは城内に幽閉され、奴隷のような扱いを受けているという事情が話を複雑にしている。

母クリュタイメストラと情夫アイギストスの迫害の手を逃れていたエレクトラの弟オレステスが身分を偽って子守の老人とともにミュケナイに戻ってくるところからこの話は始まる。まずはf二人の帰還の目的が明らかにされる。
物語はエレクトラを中心に妹クリュソテミス、母クリュタイメストラ、弟オレステスとの一対一の会話を通して登場人物の心情を吐露する形で進んでゆく。オレステスを除く二人とエレクトラは意見が対立し、この二つの対立軸が話の中心をなす。

妹クリュソテミスは、圧倒的な力の差がある現状ではアエギストスと母には逆らわないほうが賢明であり、正しいこと(復讐)が害になることもあるのだという。そして、オレステスがいない現状では復讐は成功しないと考えている。
一方復讐心に燃えているエレクトラは、不正に目をつぶって生きることはしない。正しいことをする、と反論する。
「だって、もし殺されたものが哀れにも、塵泥(ちりひじ)となり、無ともなって、
殺したものが、人を殺めた罪の報いを受けぬというのなら、
人間の恥を知り神を恐れる心はどこかへ消えてしまうはずだもの。」(引用)
ただ、クリュソテミスとエレクトラの唯一の一致点は今はどこにいるかわからない弟オレステスに復讐の実行と王家再興の望みを託すことである。

母クリュタイメストラの主張は次のようなものであった。
・夫アガメムノンが自分たちの長女を戦争のために生贄として出したことは承服しがたい。
・そもそもアガメムノンの弟でありスパルタ王メネラオスの王妃ヘレネがトロイの王子にさらわれたことがトロイ戦争の原因であり、王は弟メネラオスとの約束のために戦争に巻き込まれただけにもかかわらずメネラオス王夫妻の子供は無傷で自分の子供だけが犠牲になった。
これに対してエレクトラは、
・父アガメムノンが姉を生贄にしたのはやむを得ぬ事情があったからだ。
・理由が何であり、夫であるアガメムノンを殺して良いはずはない。さらに一緒に夫を殺した情夫アエギストスと臥所を共にしている母は恥知らずだ。
・アエギストスは王家の財産を浪費し、アガメムノンの子供たちは奴隷のように冷遇されているではないか。
 父が殺されたとき、将来を予見したエレクトラは子どもだった弟オレステスを信頼できる子守と一緒に逃したのであった。

ある日クリュタイメストラは夢を見て不安になる。元夫アガメムノンが生き返り、アエギストスが持っていた王笏を取り上げるとそこから若枝が生えだしてみるみるミュケナイ全土を覆うまでに成長したのである。そこで、彼女はクリュソテミスに頼んで鎮魂のためにアガメムノンの墓に供え物を捧げようとするが、それを知った姉エレクトラは妹を説得し、これを阻止する。ただ、墓を訪れたクリュソテミスが、もしかしたらオレステスが返ってきているかもしれないという情報をもたらした。

こうした状況下にオレステスが異国で死んだという連絡がもたらされた。それを聞いたクリュタイメストラはホッとし、エレクトラは頼みの綱が消えたことに悲嘆する。同時に自らの手で復讐を果たすことを決心する。だが直後に、成人して見分けがつかなくなったオレステス自身が現れて自分が弟であることを告白し、姉エレクトラと相談したうえで間をおかずに復讐を実行することになった。まずは母クリュタイメストラを殺害。続いて帰宅したアエギストスを処刑しようとする場面で幕となる。

<リヒアルト・シュトラウス作曲/ホフマンスタール脚色 オペラ「エレクトラ」>

リヒアルト・シュトラウスは脚本家のホフマンスタールと組んでオペラ「エレクトラ」を作曲した。ホフマンスタールはソポクレスの「エレクトラ」をベースに脚本を作ったので、話の流れはそれに沿ったものになっている。しかし、原作では淡々と語るエレクトラのモノローグだが、オペラではその燃えるような復讐心が吐露される。圧巻は、原作では妹から間接的に聞くただけだった母クリュタイメストラの夢の話を、オペラでは母自身が語に語らせ、これをエレクトラが解き明かしをする場面であろう。陶酔したエレクトラが血なまぐさい殺しの場面を語る姿はとりつかれた巫女が語るかのようである。その場面をシュトラウスは不安定な和音と意表を突く転調で支えている。
また、クリュソテミスのモノローグでは原作のように常識的な意見を述べるのではなく、平穏な人生の中で「相手は農夫でもよいから子供をうみそだててみたい」と気持ちを吐露する。この場面のシュトラウスの音楽は空五度が現れ官能的である。
エレクトラの音楽を詳細に分析するスペースは無いが、ライトモティーフを使って展開され、転調やハッとする和音進行が印象的である。また、時に数小節ごとに変化する拍子が不安感を増長し、緊張感の高い曲になっていると思う。

以上
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ソフォクレス「オイディプス王」の心の動きとイオカステ

2024-06-22 15:33:04 | つれづれに思う
オイディプス王

                *文中の固有名詞(人名、地名)及び引用はワイド版岩波文庫「オイディプス王」(第一刷)による

ソポクレス作「オイディプス王」はギリシャ悲劇の傑作だ。哲学者アリストテレスも「詩学」のなかで高く評価している。

このたびこの悲劇を読む機会があったので、構成(話の流れ)の観点から悲劇オイディプス王の何が優れているのかを見てゆこうと思う。特にオイディプスとイオカステ(とその前夫ライオス王)それぞれに与えられたデルポイの信託と次々に明らかにされる事実がどう関わり、二人をどう追い詰めてゆくかに注目する。

*** この物語の発端
この悲劇の発端は場所も時間も異なるが内容が重なる二つのデルポイの神託にあった。テバイのライオス王に告げられたのは、王妃イオカステとの間に生まれてくる子供の手にかかって死ぬ運命にあるというもの。そこで夫婦は嫡男を生まれて三日後に両足の踝を針金で縛ったうえで、家来に捨てさせたのであった。もう一つはコリントスの王子であったオイディプスがある時、自分はコリントス王夫妻の嫡男ではないという噂が流れたので不安になってデルポイの神託を伺いに行ったところ、その答えではなく 「わしは自分の母と交わり、それによって、人びとの正視するに堪えぬ子種をなして世に示し、あまつさえ、自分を生んだ父親の殺害者となるであろう」(引用) というお告げが下された。父親(コリントス王)殺しから逃れるために自分はコリントスの地を離れて旅に出た。その途上、三ツ辻で向こうからやってきた一行と争いになり馬車に乗っていた人を打ち殺し、残る供の者も皆殺しにした。
いずれも神託を聴いたものは将来それが実現することを回避するための策を打ち、それが成功したので安心していたであろう。これらの神託があったことは物語の途中で王妃イオカステとオイディプス王のそれぞれのセリフとして語られる。

*** 物語とオイディプス王の不安
物語は飢饉や疫病で苦しむテバイの王オイディプスがデルポイの神託を聴きに送り出した摂政クレオンが返ってくるところから始まる。神託の趣旨は、この国の不幸は汚れからきているのであるから、これを国土から追放せよという事であった。具体的には殺されたライオス王の下手人どもを罰することと解釈された。そこでオイディプスは国中にライオス王の殺害者を知っているものは申し出よというおふれ出した。
一方で次善の策として預言者テイレシアスに殺害者が誰か問うてみることになった。王の前に呼び出されたテイレシアスは予言を拒否したが王に脅かされ、いやいやながら①先王の殺害者はあなただ、②その人は一番親しい身内と世にも醜い交わりを結んでいる、と告げるのであった。話をきいて憤った王はこれは摂政クレオンとテイレシアスが結託した陰謀だと決めつけ彼をののしった。そこに王妃イオカステが現れ、二人の言い争いの内容を整理し自分の知っていることを述べた。
・ライオスはコリントスとの境に近い三ツ辻で他国の盗賊に襲われ殺された、と逃げ帰った家来から聞いている
・ライオス王と自分との嫡子はデルポイの神託により父親殺しになるので両足のくるぶしを針金で縛って家来に捨てさせた
・ライオス王は複数の盗賊に襲われ命を絶たれたのであり、デルポイの神託は当たらなかった
・ライオス王は白髪交じりの初老の男であり、5人の供を連れ神託を聴きに行く途上だった

これを聞いたオイディプス王は不安になり、自分が何故コリントスの王だった父の元を去ってテバイに来たのかを語る。
ある時、自分はコリントス王夫妻の嫡男ではないという噂が流れたので不安になってデルポイの神託を伺いに行ったところ、その答えではなく 「わしは自分の母と交わり、それによって、人びとの正視するに堪えぬ子種をなして世に示し、あまつさえ、自分を生んだ父親の殺害者となるであろう」(引用) というお告げが下された。父親(コリントス王)殺しから逃れるために自分はコリントスの地を離れて旅に出た。その途上、三ツ辻で向こうからやってきた一行と争いになり馬車に乗っていた人を打ち殺し、残る供の者も皆殺しにした。

語りながら彼は、ライオス殺しの犯人は自分だったかもしれない、であれば自分はデルポイの神託の通り母親(ライオス王の王妃イオカステ)と婚姻によって結ばれ子をなしたことになるという疑念を強くいだい抱くようになった。イオカステは、争いから逃げ返った供の話によれば盗賊は複数であったのだからライオス殺しの犯人はオイディプスではありえないと主張する。オイディプスも再度ライオスの生き残った供の証言を得ることに一縷の望みを託したのである。

そこへコリントスから使者が来て、父である王が老衰で死んだのでその息子であるオイディプスに是非コリントスの王になってほしいと言った。これを聞いたオイディプスとイオカステはオイディプスが父親殺しをしていない証拠だと理解し、ひとまずホッとする。しかしオイディプスは母メロペが生きているので母親と臥所を共いするという予言(前記②)はまだ覆されたわけではないという不安を吐露する。それを聞いた使者は、コリント王夫妻には嫡子はなく、オイディプスはその昔自分がさしあげた子だと告げる。その子はコリントスとテバイの境にあるキタイロンの地で羊飼いをしていた時にライオスの家来からもらい受けたのだった。その際に家来はオイディプスの両足のくるぶしを貫いていた留め金を抜いた。そうであればそのライオスの家来を探し出してその時の事情を聴きたいというオイディプスの気持ちを聞いたイオカステは蒼白になってこれ以上の家来探しは止めるように主張するが拒否され、絶望して宮殿へ逃げ込む。イオカステの中ではこの時全ての事実がつながり、デルポイ神託の通りであったことを理解したのである。おそらくこの場面が本悲劇の一番の山場であろう。

その後赤子を捨てたライオスの家来であった羊飼いがあらわれ、その時の事情を告白するとオイディプスもすべてがデルポイの神託通りであったことを理解し、わが罪の深さに絶望して宮殿に駆け込む。そこで母であり妻であるイオカステの変わり果てた姿を見つけるとそのブローチを取って自らの両眼を突き刺した。

***イオカステの心はどう揺れ動き、何が決定的となってはてたのか
この劇の主役はオイディプスであるが、彼が生まれた時からの事情をもっともよく知っていたのは母であり妻である王妃イオカステである。前夫であるライオス王と一緒に「生まれた子供によって父親が殺されるであろう」というデルポイの神託を聴き、これを避けるために嫡子であるオイディプスの足を縛って家来に捨てさせた。そのことは王家の秘密であった。
しかしライオス王亡き後、スピンクスによって苦しめられていたテバイを救ったオイディプスと再婚し4人の子供をなすまではおそらく幸せであったのだろう。
それが、飢饉が続き、挙句に疫病が流行して国家が疲弊するにおよび、デルポイの神託を仰いだところ「この禍から逃れるためにはライオス王殺害の下手人どもを罰せよ」とのお告げが出たところからこの悲劇が始まる。
不思議なことに下手人を探すためにオイディプス王が呼び出した予言者テイレシアスの言葉と、オイディプスがコリントス王の息子として以前にデルポイの神託を得た時の内容は同じであった。劇はこの予言・神託を裏付ける事実が一つ一つ明らかにされるたびに揺れ動くオイディプスとイオカステの心を見事に映し出している。
オイディプスが神託を受けた時点で知っていたのは、自分の踝に醜い跡が残されているという事だけでその意味については知らなかった。イオカステは先王ライオスとの間に生まれた子が親殺しをすると言う神託の実現を回避するために嫡男を捨てさせた。また先夫のライオス王は他国の盗賊どもに襲われて殺されたことは報告を聞いて知っていた。
こうしてみると王妃イオカステは予言を解き明かすためにカギとなる断片的ではあるが重要な事実(盗賊は複数ではなかったが)を最初から知っていたのだ。だからこそ新たな証言によって状況が明らかになることを恐れて先王ライオス殺害の下手人が複数であったという報告にこだわり、たった一人の生き証人を呼び出すことに反対し、デルポイの神託は当たらないのだ、とまで言う。また、自分が捨てた嫡男がオイディプスである可能性が見えた時に、捨てに行った家来を呼び出すことに強く反発する。
一方、最後のコリントスの使者による証言はイオカステの知らない他国における事実なので反論する余地がなかった。イオカステにとってはすべての事実がつながり、予言が成就していたことを理解してその場に居られなくなった。そして自室に駆け込み、首を吊ってはてたのである。
この時点でオイディプス王にとっては自分がライオス王と王妃イオカステによって捨てられた嫡男であることの一点のみ未解決だったのであるが、その後彼を捨てるように命じられた家来(羊飼い)が召し出されてその事実を証言するにおよび彼も全ての事実がつながり、コリントスで受けたデルポイの神託が成就していたことを理解する。

以上
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息子に語るAI の現在

2023-04-01 23:39:39 | つれづれに思う
新聞記事でこのところしばしばChat GPT 等のAI が取り上げるけれど、それは現在のAI 進展が社会生活に与える影響が甚大であると予想されるからです。良い影響もないわけではないけれど、使い方によってはとんでもないことになります。その原因の一つは、AIチャット・サービス 、絵画自動作成、自動作曲、等のAI を支えている技術が未完成で、使う人や作った人にも確実には制御できない状態にあるからです。君たちにもわかるように説明します。

これらの最新AIサービスを支えているディープ・ラーニングという技術(下記の図参照)は人間の脳神経ネットワークをモデルにして考案さられたニューラルネットワークという構造を持っています。脳細胞であるニューロンがシナプス(樹状突起)を介して連結し、網の目のようなネットワークを構成しているので、ニューラルネットワークも脳細胞をノード、シナプスをエッジと呼んで同じく網の目のようなネットワークを構成しています。ただし、この時、階層という概念を導入しました。そして、その階層を増やせば増やすほど記憶量が増して性能が向上することが知られています。僕も40年前に、ここまではやってみました。でも、階層を増やすとシナプスの数がネズミ算的増加し、計算に恐ろしく時間がかかるようになり使い物になりませんでした。(人間の脳は数百億個の神経細胞で構成されています)でも、これをGoogle の協力を得て力ずくで解決したのが英国のデープマインド社(後にGoogle が買収した)です。Google は何万台ものPCをネットワークで結合したクラウド・サービスを持っているので、これを使ってディープラーニングの膨大な計算をやってのけたのです。最初に発表したのが「アルファ碁」という囲碁アプリで、囲碁の世界チャンピョンに勝って話題になったことを覚えているでしょう。つまり、彼らは個人や実験室では成し遂げられない膨大な計算を力ずくでやりのけ、それが有効であることを証明した訳です。これが2015年の事ですから、それからたった7年でChat GPT にまで発展し、マイクロソフトも負けじと同様の会社を買収し、自社製品に組み込もうとしています。彼らもPC ネットワークを自前で持っているのです。

さて、ディープラーニングは人間の脳神経の構造をモデルとしていますが、なぜノードとエッジという単純な構造を階層化しただけでこんなにすごい機能を実現できるのでしょうか。実は、その理論はまだわかっていません。つまり、現在のAI は経験的にうまくいっているだけで、それがどうして機能しているのか分かっていないのです。だから、アルファ碁は次の一手を選択したとき何故その手を選んだのか説明できません。あえて言えば評価関数(実はこれが曲者なのですがここでは説明を省略します)が最大値だったから、ということになるのですが、なぜ最大値になったのか、他に極大値はないのか、説明できないのです。
つまり、現在のAI がなぜうまくゆくのか、その理論はわかっておらず、経験的にうまくいっているようだから使っているにすぎません。AI が出す答えが正しいのかどうか、保証する手段もありません。経験的に(つまり、やってみたら)うまくいっていればよしとしているに過ぎないのです。それでも、従来技術では対応できなかったある種の用途では実用レベルの解を提供できているので使われるようになってきました。いうなれば品質保証はできないけれど「結果良ければすべてよし」という危うい製品なのです。だから、この技術はクリティカルな判断が必要になる場合に適用すべきではないのです。ディープラーニングではありませんが、マシンラーニング(機械学習)という類似のAI の技術をカリフォルニア州で裁判官が被疑者の保釈可否の判断に使っているのですが、信じがたいです。実際そのAIサービスは黒人に不利な判断をすることが分かり、問題になりました。

このような状況に危機感を覚えた人たちが、AI 開発の一時凍結運動を始めたという報道が次の記事です。あまり現実的とは思いえない提案ですが、放置できない状況になりつつあるという現状認識だけは私も賛同します。

『マスク氏ら1000人超「AI開発、半年停止を」 「人類に深刻なリスク」 公開書簡』3032/3/31 朝日新聞



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息子たちへ:自分の感覚を研ぎ澄まそう

2018-06-19 18:42:40 | つれづれに思う
我が息子たちへ;(2018年6月)

JR西日本で先日もまた、大事故につながりかねない人身事故(下記URL参照)が発生したのは知っているでしょう。
■異音後も運行、JR西謝罪 のぞみ破損、運転士マニュアル守らず

昨年も異音が発生していることを認識していながら運航を優先して運転を継続したが後の駅で台車に亀裂が入っていることが判明したという事件があったばかり。二つの事故に共通する問題は、運転手あるいは乗務員が異音・異臭を認識していながら自分の感覚よりも中央指令室の判断を優先し運航を継続したことにあると思う。これは、乗員の問題ではなく、現場にいない人の判断を優先する新幹線運行システムの問題である。
JR西日本は下記のような見解を出しているけれど、事の本質はマニュアルの理解度の話ではなく、運航に責任を持っている人間(この場合は運転手と乗務員)が持っている危険を察知する感覚を信じていないということにあるのだ。
■運転士は「マニュアル誤認か、気が動転か」 JR西会見

人間は長い生命の歴史を通して生存のために研ぎ澄まされた感覚をもって生まれています。それを無視して、システムやマニュアルを優先するというという発想はものすごく危険だと思わないか?
飛行機は一度離陸すると着陸するまでは機長が全責任を負うでしょう。だから、彼が何か異常を感じたら、自分の判断で、もちろん地上と連絡を取りながらではあるが、緊急着陸したり空港に引き返したりするでしょう。自分の判断でニューヨークのハドソン川に水着した機長もいました。でも時には異音がした、あるいは計器が一つ故障していたので空港に引き返したが調べてみると運航に支障はなかったというケースもあるかもしれない。それでも機長は空港に引き返した責任を追及されたりすることはないはずです。そんなことしたら、重大事故に繋がり、会社が大損害を被るだけでなく旅客の信用を失うから。つまり、機長の研ぎ澄まされた感覚と高い見識に基づく判断が運航継続よりも優先されています。これは極めて正常な運用形態だと思った。
それに対して、新幹線というシステムは軌道をすべて金網やトンネルで覆い、想定外の事故が起こらないことを前提にしたシステムであり、運転手や乗務員の感覚(判断)の優先度は低い。中央指令室というところで、すべてを管理しているので、効率的ではあるが想定外の事故に対してきわめてぜい弱だと言えます。

実は福島の事故にしても同じような判断ミスが重なっている。何百年に一回かもしれないけれど大津波が来ることは歴史があきらかにしているにもかかわらず、立地を検討する段階で、原子炉が運転している期間にそれが起こることは公式的には想定しなかったことになっている。だが、本当に誰も大津波の危険性を考えなかったのだろうか。技術者の中には、それを指摘した者が一人ならず居たはずだと思う。ただ、その時点では、そんな危険性は全く無視され、その意見は顧みられることは無かったのだろう。

誰がどんな感覚に優れているか、それは一人ひとり異なっているだろう。僕は、君たちには自分の感覚を研ぎ澄ませ、それを信じで生きてほしい。たとえその判断が世の中や会社の主流とは異なっていたとしても。

話はちょっと飛ぶが、復活祭(イースタ―)の朝に亡くなった歌手であった叔母の94年間そんな人生だったし、生涯それを貫き通したのだ。そして世の中が叔母の後から恐る恐るついてきた。つまり音楽の前衛だった。おかげで身内である我々はしょっちゅう振り回され、離れていった友人もたくさん居たたけれど。でも、我々は彼女から教わったのだ。かけがえのない生き方を、そして演奏のあり方を、自分の感覚を信じることを。
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AI(人工知能)に使われている技術と知性

2017-07-08 23:17:00 | つれづれに思う
6月25日放映ののNHKスペシャル「人工知能ー天使か悪魔か2017」はインパクトのある特集だった。ネット上ではAIの急激な発展に不安を覚える投稿が多かった。また、6月7日の朝日新聞声の欄でもAIが将棋や囲碁で人間を凌駕し、近い将来には多くの仕事がAIに取って代わられるという予測に対して不安感じている投稿が複数掲載されていた。

ところで、現在のAI技術は本当に人間の知性を超えているのであろうか。
18世紀、英国でジェームス・ワットが蒸気機関を改良し、産業革命の進展に貢献した。この時、労働者は仕事を奪われると思い込み工場を打ち壊した。しかし、蒸気機関の出現により人類は安定した動力を得、産業革命を経て飛躍的に生産性を高め、生活環境の改善にも成功したのだった。もちろんそこには波に乗れず、苦汁をなめた人々もたくさんいたのだが。
NHKスペシャルでは、5月に行われた電王戦(佐藤名人v.s.ポナンザ)の経過を詳しく追っていた。結果はAI将棋ソフト・ポナンザの三連勝だったが、ポナンザがプロ棋士の常識を覆すような差し手を打った事、中盤の形勢判断が観戦していたプロ棋士たちと将棋ソフトでは逆転していた事が印象的だった。ただ何故ポナンザは中盤に自分が形勢優位だと判断したのか、また何故ポナンザがプロの常識を覆す差し手を選択したのか、ポナンザ自身はもちろん開発者である山本一成氏にも説明はできないのである。
ポナンザはAIの一つの技法である機械学習採用している。そこには駒の相互関係を表したり、盤面を評価するために数百のパラメータが定義されている。これに対して初期データとして過去の対局データ5万件を与えて学習させる。さらに、自己対局(ポナンザ同士で戦う事)を700万回以上繰り返して強くなった。パラメータの多さ、相関の複雑さから、いまや開発者にもどうプログラムを修正すれば強くなるのかわからない。そこで、現在開発者は経験と勘を頼りに試行錯誤を繰り返し、改良を行っている。一般に将棋ソフトでは評価関数を使って盤面を評価し、次の一手を選択しているが、この関数が複雑になり過ぎて開発者にも理解できないレベルに到達したという事だろう。また、ポナンザが繰り出す新しい指し手はプロ棋士の常識を超えるものがあり、そこには知性さえ感じられるようだ。

今年の5月Googleの英国子会社 Deep Mind 社が開発した囲碁ソフト「アルファ碁」が、世界最強の棋士 柯潔(かけつ)に三連勝し、その後非公式ながらネット上でプロ棋士と対戦して60連勝したというニュースは世界中に伝わった。アルファ碁のすごさは、強さだけではない。プロジェクト開始当時、プロキシに勝つには十年以上かかると言われていたにもかかわらず、それを3年で成し遂げったところにもある。
この躍進を支えたのがディープラーニングと呼ばれる技術である。ディープラーニングは機械学習の一つであり、プログラムを作成する代わりに入力・出力の一対データを与えるだけでその特徴を自動的に(機械的に)学習してゆく。理論的には以前から知られており、画像や音声認識の分野では実用化されている。ただ、囲碁に適用しようとすると層が深くなり、学習に時間がかかり過ぎるという問題があった。Deep Mind 社はこの問題をGoogle 社の分散処理技術と豊富なコンピュータ資源を利用することで乗り越えたのだ。
アルファ碁の成功で、ディープラーニングによりAIは一気に人間の知能を超えたと考える人たちが増えたようだ。そのため、近い将来多くの人間の仕事がAIに取って代わられるという発言に勢いが付き、人々は不安を感じるようになったのだろう。

ポナンザやアルファ碁は現時点では確かにプロ棋士たちを凌駕した。将棋ソフトや囲碁ソフトは棋士たちが思いもしなかった差し手を編み出し、また形勢判断をする。コメンテータの羽生棋聖の指摘だが、実はこれは将棋や囲碁が奥深いゲームであり、今まで人間はその表面一部だけで遊んでいたにすぎず、将棋・囲碁ソフトが新たな領域を開拓したのかもしれない。であれば、棋士たちはデビュー29連勝を飾った若い藤井四段のようにソフトから学び、さらに強くなる可能性があるのではないか。

ところで、アルファ碁は昨年(2016年)3月に韓国最強のプロ棋士 イ・セドルと5番勝負を行い、4勝1敗で勝った。この時イ・セドルが唯一勝利した第4局でアルファ碁は途中から明らかな悪手を繰り返したが、その原因は開発者であるDeep Mind のメンバーにもわからなかった。
また、ポナンザの場合と同じくアルファ碁はプロ棋士の常識からは考えられない手を選択することがよくある。結果的にはそれで勝ってるケースが圧倒的に多いのだが、何故その手を選んだのかアルファ碁自身はもちろん開発者にも説明できないし、観戦しているプロ棋士には理解できなかった。そして現在では極めてまれにしかないが、過ちを犯し悪手を打つことがある。

機械学習(ディープラーニングを含む)とういう技術には、本質的に判断の根拠や過程を説明できないという問題があるのだ。説明をする技術の研究もおこなわれていが、現時点では成功していないし、個人的にはあまり期待できないと思う。
そもそも将棋や囲碁に於いてAIが棋士に勝利したのは、圧倒的な記憶量と計算速度(処理速度)のなせる業だったのであり、そこには人間の限られた能力によって「物事を知り、考え、判断する能力」と同質の知性は感じられない。もちろん力技の威力に不気味さは感じるが。
現在のAIにはいろいろ問題はあるが、今後様々な分野で応用されるであろう。NHKスペシャルでもバスの運行記録から事故の発生率を予測しドライバー再教育の判断に使用する。裁判官が仮釈放の判断に再犯率予測を参照する。タクシーの需要予測へ応用する。等々のAI応用事例を紹介していたが、いずれの応用もAIを統計処理機能として使用しており、AIの出した結論を最終的に判断するのは人間である。これらの応用全てにおいて機械学習やディープラーニング技術が使われているわけではないが、結論に至る過程を説明ができない、根拠を示す事ができない、現段階のAI応用としては妥当なところであろう。

そもそも現時点でAI(ここでは機械学習技術)が実社会の課題に応用された場合、AIを使ったシステムが誤った動作をした責任はだれがとるのだろうか。その前に、事故を未然に防止するために誰がそれを誤動作と判断するのだろうか。また、AIが人間に説明できない判断をした場合、その採否を誰がどうやって決めるのだろうか。例えばAIによる医療診断ではそのようなケースが充分起こり得る。自動車の自動運転等では、事故回避のために瞬時の判断が求められるが、それをAIに任せることが出るのだろうか。
さらに、AIが常識的な因果律で説明できないような判断をして事故が発生した場合、責任を負うのは開発者(会社)・サービス提供社・利用者のいずれか? 等々、問題は山済みである。

説明責任を果たす事ができない現在のAI技術が本当に人間の知性に迫っていると言えるのだろうか。疑問である。

最後に一つ、身近なところで使われているAI(機械学習)の成果を紹介しょう。
昨年の秋頃からGoogle 翻訳の精度が大きく改善されたのを御存じだろうか。これは、AI技術を導入した結果である。新しいGoogle翻訳では対象となる文章の前後の文章における単語の関係から文脈を少しだけ学習し訳語を決定するようになった。「少しだけ」というのは、文全体の意味や文脈を理解して翻訳しているわけではない、という意味である。つまり単語の関係という形で意味のあいまいさを補っているのである。それでも一度使ってみれば、数行の短い文章ならば非常に役立つことが理解される。しかし、長文を訳させてみれば誰しもがっかりするだろう。完全な文脈理解なしに文章の意味を正しく理解することなど到底望めないし、自然な訳文が生成できるはずもない。もちろん、機械翻訳の出力をたたき台とし、これを人間が修正して使うという利用方法は大いに役立つが。
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