音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

音楽家はルソーの言語起源論から何を学ぶか

2018-03-15 17:09:56 | 音楽

フランスの哲学者ルソー(Jean-Jacques Rousseau)は「言語起源論ー旋律と音楽的模倣について」(*1)において次のように述べている。
原初ことばと音楽は一体であった。言葉は情念を表すものだった。そこでは音(ことばの抑揚)が我々の心の中に入り込み、関心をかき立てる。
古代エジプトの象形文字やメソポタミアの楔形文字は単に「もの」をだけでなく、その環境や時間変化をも含む概念である「こと」を指しており、それは豊かな表現となっていた。その後、記号としての文字(例えばアルファベット)が発明されるに及び、文字は「もの」を指し示すようになり、この時に音と文字が分離された。

日本語も古くは多くの言葉が「もの」ではなく「こと」をさしていた。(*2) その残滓は例えば色の表現に見る事ができる。
「みどりなす黒髪」の「みどり」は分光学的な緑色ではなく、若々しいつややかな様を表している。「あかあかと燃える」の「あかあか」は炎が揺らめき燃料である木がはじける様を指すのであり、単なる赤色を意味しない。
専門家によると、日本語にはこのような擬態語が多いらしい。「青々と茂る森」等々、思い当たる言葉はたくさんある。近代以前の日本語に色を表す言葉が多様であるのは我々の先祖が色を分光学的な特定の波長に対して定義する(「もの」)のではなく、色をその環境は時間の流れの中で「こと」としてとらえたからである。近代になってそこから「赤」「黄」「青」のような分光学的な色表現が分離され、多用されるようになってきた。だから、印欧語と比較すると日本語には色の表現が豊かなのである。

また、ルソーは同書において『感情やイメージを表現するには、リズムと音すなわち旋律が必要である。』と述べる。感情やイメージをうれしい、悲しい、というような抽象的な「もの」としてではなく、育てていた水仙に花が咲いてうれしいとか、母が死んで悲しいという具体的な「こと」として表現するには旋律が必要なのである。

西洋音楽発展の基礎となったグレゴリオ聖歌は元来ラテン語の歌詞(聖書からの引用が多い)を朗唱するもので、歌い方は口伝に依っていたが、9世紀ごろから先導者がネウマと呼ばれる記号によりその歌い方を記録(というよりもメモ)するようになった。それが12~13世紀頃に四線譜に書き写された(四線ネウマ譜とも呼ぶ)ことにより音高が明確になったが、この時に元々のネウマ譜が持っていた抑揚やリズムの情報が失われてしまった。そして四線譜が五線譜になり、定量記譜法が定着。バロック音楽以降は舞曲の形式が多用されたために(例:バッハ「管弦楽組曲」)小節線(縦線)と共に拍子記号が導入されて現在の記譜法が固まった。これによって記譜法が標準化され、その規則さえ知っていれば誰が演奏しても同じ音がするようになった。しかしネウマが持っていたフレーズやリズム、音の流れの勢い等、音楽が持つ豊かな「こと」表現情報が失われ、楽譜は単なる音高や音価、つまり「もの」しか記述できないものとなった。これを補うために表情記号等が導入されたが、ネウマが持つ豊かな情報量とは比べるべくもない。

さらにルソーは言う。『リズムの周期的で律動的な回帰、抑揚の旋律豊かな変化へ言語とともに詩と音楽を誕生させた、というよりその幸福な時代と幸福な風土ではそれらすべてが言語そのものだった。』(*1・p90)
『音声言語の多彩な音以外に旋律はなく、抑揚は歌を形作り、音長は拍子を形作り、人は文節や声〔母音〕に寄ってと同じくらい、音とリズムによって話していた。』(*1・p91)
四線ネウマ譜や五線譜のような定量記譜法の導入によって言語と音楽が一体であった幸せな時代は終わり、我々は音楽を表現するために五線譜と格闘し、その中に自然なフレーズやリズムを見つけ出さねばならなくなったのである。

だから現代の演奏者や指揮者の重要な仕事の一つが固定的な五線譜で記述された音符の中に隠れている自然なフレーズや自由なリズムを見出し、それを演奏に生かして行く事となった。

追記:ルソーは最後の結論に至るもう一つの原因として和声の導入を挙げているが、これについは別途議論してみたい。(*1・p103)


*1 ルソー(増田真 訳)「言語起源論ー旋律と音楽的模様について」岩波文庫(2016年)
*2 樋口桂子「日本人とリズム感」青土社(2017年)」
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