プッチーニ 「蝶々夫人」
2025年5月14日 新国立劇場
だいぶ前だが、国立劇場の「蝶々夫人」初日公演を聴いた。
幕が上がって最初に目を引いたのは舞台装置である。
本公演の舞台は中央に蝶々夫人が住む和室を置き、左手に和室を囲むように上から降りてくる曲線階段と右手に同じく下からせり上がってくる坂道が置かれ、舞台の奥から手前・左右の袖から中央へという単調な直線になりそうな動きをうまく避け、動線が舞台全体を包み込んで広く見せることに成功している。さらに、階段と坂道の外側は壁が囲んでいるのでそこに映る歌手たちの大きな影が舞台に動きを与えている。この歌劇は全幕ともに同じ場面が使われるために単調になりそうな舞台を視覚的にも飽きさせない非常に優れた舞台設定だ。ブラボー演出家(栗山民也)である。
蝶々夫人の小林厚子は特徴のある声というわけではないが全音域をムラなく歌いあげ「ある晴れた日」では聴く者の涙を誘った。スズキ山下牧子も声量たっぷりで好演。ピンカートンのホセ・シメリーリャ・ロメロとシャーブレスのブルーノ・タディアは安定した歌声で蝶々夫人を引き立てていた。
プッチーニの音楽は脚本以上の何かを語るものではなく、ニーチェが「悲劇の誕生」で言っている模写的音楽(岩波文庫「悲劇の誕生」)に該当する。ただ、どのアリアやデュエットも聴いている者の心に迫るものがありグランド・オペラの真骨頂である。これはひとえに作曲家の職人技だろう。最後の自害する場面では、私の右のお年寄りは鼻をすすり、左の若者は涙をぬぐっていた。
序からピンカートンが登場すまでの導入音楽には勢いがあり、観客を日常生活から一気に舞台の世界に引き込む演奏で、その勢いは最後まで途切れることが無かった。(指揮者 エンリケ・マッツォーラ、管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団)
2025年7月28日記
2025年5月14日 新国立劇場
だいぶ前だが、国立劇場の「蝶々夫人」初日公演を聴いた。
幕が上がって最初に目を引いたのは舞台装置である。
本公演の舞台は中央に蝶々夫人が住む和室を置き、左手に和室を囲むように上から降りてくる曲線階段と右手に同じく下からせり上がってくる坂道が置かれ、舞台の奥から手前・左右の袖から中央へという単調な直線になりそうな動きをうまく避け、動線が舞台全体を包み込んで広く見せることに成功している。さらに、階段と坂道の外側は壁が囲んでいるのでそこに映る歌手たちの大きな影が舞台に動きを与えている。この歌劇は全幕ともに同じ場面が使われるために単調になりそうな舞台を視覚的にも飽きさせない非常に優れた舞台設定だ。ブラボー演出家(栗山民也)である。
蝶々夫人の小林厚子は特徴のある声というわけではないが全音域をムラなく歌いあげ「ある晴れた日」では聴く者の涙を誘った。スズキ山下牧子も声量たっぷりで好演。ピンカートンのホセ・シメリーリャ・ロメロとシャーブレスのブルーノ・タディアは安定した歌声で蝶々夫人を引き立てていた。
プッチーニの音楽は脚本以上の何かを語るものではなく、ニーチェが「悲劇の誕生」で言っている模写的音楽(岩波文庫「悲劇の誕生」)に該当する。ただ、どのアリアやデュエットも聴いている者の心に迫るものがありグランド・オペラの真骨頂である。これはひとえに作曲家の職人技だろう。最後の自害する場面では、私の右のお年寄りは鼻をすすり、左の若者は涙をぬぐっていた。
序からピンカートンが登場すまでの導入音楽には勢いがあり、観客を日常生活から一気に舞台の世界に引き込む演奏で、その勢いは最後まで途切れることが無かった。(指揮者 エンリケ・マッツォーラ、管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団)
2025年7月28日記