音楽と情報から見えてくるもの

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シュトックハウゼンの「シュティムング~内観する声ひとつ」何故この曲の基音が「変ロ(B♭)」なのか

2015-12-16 12:07:30 | 演奏会雑感
もう4か月も前の話題だが、サントリー芸術財団 サマーフェスティバル2015 ではK.シュトックハウゼンのシュティムングが演奏された。日本での演奏は1970年の大阪万博ドイツ館での演奏以来となる。男女各三人が車座になって会場の中央に座り、それを取り囲むように聴衆が座る。全曲は70分に及び、切れ目なく演奏される。楽譜はいわゆる図形楽譜である。
曲は変ロ音を基音とする倍音音列の低いほうから2,3,4,5,7,9、倍音、つまり変ロ、へ、変ロ、ニ、変イ、ハ音の六つを各歌手の基音として設定してある。実際はそれぞれの基音の上にさらに倍音が生まれてくるので、全体はとても豊かな響きとなる。
曲の詳細解説はこのブログの目的ではないので他書に譲るが、当日のプログラムに記載されていた作曲者自身による解説と当演奏会の企画立案者である長木誠司氏によるわかりやすい解説が有用であったことを付記しておく。
今回の暖か味にあふれた演奏を聴いた後、何故この曲の基音が「変ロ(B♭)なのだろうという疑問が残っていたので帰宅してからネットや書籍で調べてみたがどこにも言及されていなかった。もちろんスコアにも記載されていない。
そこで、ここでは私が考えた仮説を述べてみたい。(海外版のCDの解説には掲載されているかもしれません。ご存知の方があればぜひ教えてください。)

この曲を作曲した時シュトックハウゼンは米国に住んでいた。ご存知のように米国の電源周波数は60Hzである。これを音に当てはめると近似的に変ロ(B♭)になるのだ。参考のために前後の音と周波数の関係を次に示そう。

A___55.00 Hz

B♭_58.25 Hz

B___61.75 Hz

A の55.00 Hzを8倍(4倍音)すると国際標準の A=440 Hzになる。一方60Hzの4倍音は丁度ロ(B) と変ロ(B♭)の中間の音程である。

話は飛ぶが、私たちの生活環境は様々な音に満ち溢れている。風や水の音に代表される自然音。人の話し声や犬の鳴き声。そして都会では自動車や電車の音が絶え間なく襲ってくる。これらの音を総称して環境音という。その環境音として私たちが避けられないのが電気に由来する音である。
いまや私たちは電気の無い生活は考えられない。その電力の供給源である電源の周波数が60Hz/50Hz であるという事は、私たちは好むと好まざるとにかかわらずこの音 及びその倍音を聴いて生活しているのだ。テレビや音響機器に限らず冷蔵庫や掃除機等々全ての電気製品(電池駆動の物は除く)はこの周波数およびその倍数の音を発している。実は最近の製品はオフにしている時でさえ待機電力を消費するので、小さな音を発している。試しに、真夜中にテレビを消してテレビ受像機あるいは受信機に耳を近付けてみていただきたい。ブーンという音がするはずである。耳の良い人なら、携帯電話等の電源アダプターに耳を近付ければ、非常に小さな音量だがノイズが聞こえる。(これを電気工学の用語で「ハム・ノイズ」と呼ぶ)
2年前、改築した我が家に入居した直後に息子が、夜寝ているとドアホンの子機(無線子機)から音が聞こえてきて気になると言い出した。子機の電源を外すと明らかに聴こえなくなるらしい。試しに夜中に確認してみたものの私にはハム・ノイズは聴こえなかった。取りあえずメーカーにクレームを出し、交換してもらったところハム・ノイズは消え、彼は以後快眠できるようになった。この音は明らかに、音感に優れた若者だけに聞こえる音だったわけである。
私たちの生活環境はこのような電源周波数音とその倍音に満ち溢れていると言っても過言ではない。ちなみに交流モーターの音も通常は電源周波数音及びその倍音である。こちらの音は誰にでもよく聴こえる。
ちょっと話はそれるが、日本の電源周波数は富士川を境に西は60Hz、東は50Hzになっていることはご存知だろう。そのため、関西に住む絶対音感を持つ人(ほとんどが音楽家)が東京に来ると環境音に違和感を覚えるらしい。それは、環境音の基音が変ロ音(60x8=480Hzの近似値)から変イ音(50x8=400Hzの近似値) に下がるからである。

さて、米国で生活していたシュトックハウゼンは60Hzとその倍音に囲まれて生活していた。従って、シュティムングを作曲した当時にとって彼は変ロあるいはロ(どちらの近似値を取るかは重要な問題ではない)に満ち溢れた環境で生活していたことになり、この音が最も身近な音程になっていたと考えられる。これがシュティムングの基音が変ロ(B♭)になった理由ではあるまいか。
一つ付け加えると、変ロの倍音構成は丁度人間の声の音域に都合が良かったこともあろう。最初に記述した変ロ、へ、変ロ、ニ、変イ、ハ音の六音は下からバス・テナー(2)・アルト・ソプラノ(2)に無理なく割り当てられる。これが二音だったりすれば低いほうのバスが苦しいし、ト音だったりすれば高いほうのソプラノは悲鳴になる。

この仮説は検証したくても作曲者がすでに亡く、どこかに本人の証言が残されていない限り確認しようがない。もっとも、本人が存命中であれば私は仮説を考えることもしなかったであろう。

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