音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

古典芸術の現代化 ③歌舞伎の場合

2016-02-03 01:26:00 | 日本の音楽
➁オペラの場合は後回しにしました。

歌舞伎では通し狂言として上演される場合、オリジナルの台本がしばしば改修される。一つの作品が通し公演として取り上げられる頻度は一番人気の仮名手本忠臣蔵でさえ数年に一度くらいだから、高くはない。一般には通し公演のたびに何らかの改修がなされると言ってもよいほどである。
では、なぜそんなに台本が改修されるのだろうか。その一つのヒントは歌舞伎が置かれた社会的背景にある。
歌舞伎は元来、時の権力者である徳川幕府の庇護を得ることなく発展してきた。従って、興業(ビジネス)として成功させるには収入である観覧料と公演支出のバランスがとれていなければならなかった。つまり、たくさんのお客がお金を払って見物に来てくれるような公演を継続しなければならなかったのである。人気が無い公演は早々に打ち切りとなり、人気があれば公演期間は延長されたはずである。その点では現代のミュージカル公演に通ずるところがある。ブロードウェーの "Chikago" のように何年にもわたるロングランを続ける公演もあれば、1ヵ月の公演予定が不入りのため二週間で打ち切りになるケースもざらにある。そこで、興行主、脚本家(台本作者)、演出家(歌舞伎では「座頭(ざがしら)」)、役者は見物人を楽しませることに腐心する。そうせざるを得ないのだ。今も昔も。もちろん役者には見せる芸を磨く事を怠ってはいけない。それも、公演のたびに台本の改修、つまり現代化を要求するのである。台本が時代の要請に合わなければ幕府や政府の公的支援の無い歌舞伎は生き残れなかったのである。*1 言い換えれば、その柔軟性が歌舞伎を今日まで支えてきたと言えるだろう。もちろん柔軟性以外の要因もあるが。
幕府の庇護を受けていた能・狂言でも世阿弥が「風姿花伝」で言う「花」を大切にし、観客を楽しませるという事大切にしてきた。しかし、その方法においては歌舞伎とは大いに異なっていた。能・狂言でギャグのようなセリフを即興で言う事は考えられず、我々現代人にはわからない江戸時代のギャグがそのまま残っていたりする。
ところで、一口に改修と言ってもその程度は即興的なギャグからすっかり筋立てが変わってしまうものまで様々である。例えば河竹黙阿弥作の「小春穏沖津白浪(こはるなぎ おきつ しらなみ)」の最後は男(三人の盗賊)の悲しい別れだったのに、1月の国立劇場歌舞伎公演(改修:木村綿花)では、殿様の政敵に盗まれた大事な品物を三人の盗賊が協力して奪い返し、その功績により全員召抱えられることになるというハッピーエンドに変わっていた。
古典作品の改修を良しとする文化には多様な背景があるが、根底には歌舞伎という芸能が置かれた社会的な地位の低さがあると考えざるを得ない。もちろん、地位の低さが人気と芸の高さに比例しないことは言うまでもない。そもそも、江戸時代は士農工商という職業序列があったが、最も豊かさを満喫したのは最も身分の低い商人たちであり、歌舞伎を支えていたのはこの人たちだったのだから。
改修しなければならなかった背景を次のように分類することができるだろう。

1.オリジナルの台本の筋書きが破たんしていて現代人が観ても理解できない。
 後述の小春穏沖津白浪がその典型である。(Web Site 「歌舞伎見物のお供」*2参照)
2.通し狂言としては上演時間が長すぎる。(これは実に現代的な要請である)
 11時あるいは12時に開演しても終演が17時を過ぎるようだと帰宅がラッシュアワーにぶつかってしまう。高齢の見物客が多い歌舞伎興業には致命的な問題になる。従って、場の間引きをするか台本を改修して短くする必要がある。
3.時代背景や当時の事件について知らないと筋を理解できない。
 歌舞伎の台本にはその時代や過去に起こった事件を基に作られたものが沢山ある。(時代狂言)
 例えば鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の台本は江戸時代の赤穂事件を背景につくられ、最初は「仮名手本忠臣蔵」と抱き合わせで上演された。従って、最後の討ち入り場面は共通である。しかし、現代の観客は事件のことはよく知らない。そこで、昨年の12月国立劇場の公演では最初に「口上の段」を追加し、鶴屋南北自身が登場して事件の背景を説明するという改修が付け加わっていた。
4.見物人の受けを狙ったギャグ。
 ギャグは即興的に付け加えられる遊びであり、客の心を和ませる。「この道はさっき来た道」というセリフを山田耕筰作曲「この道」のメロディーに乗せて歌ったり(語ったり)、最近ではラグビー日本代表の活躍に乗じ劇中で五郎丸のポーズを取る場面があった。

この分類で全てを場合を尽くしたわけではなく、他にもあるだろう。ただ、ここに分類されたケースはいずれも見物人を楽しませるという精神に基づくものであり、400年以上続く歌舞伎を支えてきた要因の一つである。

*1: 歌舞伎のような大掛かりな舞台芸術が昔も今も公的な支援をほとんど受けずに興行的に成り立っているという事は世界的に見てもまれな例ではなかろうか。洋楽(クラシック)では主要なオペラ劇場やオーケストラはほとんど全て公的な支援がある。例外は米国だが、そこには公的な支援に代わって莫大な寄付がある。だから、米国主要オーケストラの音楽監督や常任指揮者の大切な仕事の一つが寄付金集めなのだ。たくさん集めた指揮者の在任期間は長くなる。
*2: http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/2555b16dc41f541481f71ecc76ca0d5f

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