音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

原節子と早坂文雄の歌曲「うぐひす」

2015-12-10 16:51:07 | 日本の音楽
11月末に女優の原節子さんが9月5日に亡くなっていたという情報がリークされ、マスコミが一斉に報道した。各週刊誌は特集を組み、電車の吊り広告はこの話題でにぎやかであった。どの週刊誌(私が読んだのは文春、新潮、朝日)も言及したのは永遠の処女原節子の恋物語である。原節子を重用してたくさんの名作を残した小津安二郎はじめとする監督や助監督、俳優、等々、噂の域を出ない話が羅列してあった。

作曲家 早坂文雄*1の作品リストに掲載されている唯一の歌曲が「春夫の詩に拠る四つの無伴奏歌曲」であり、その第一曲が「うぐひす」である。

「うぐひす」  詩: 佐藤春夫

君を見ぬ日のうぐひす
海近き宿のうぐひす
波の音にまじりなくよ うぐひす
ひねもす聴くよ うぐひす
うぐひす うぐひす うぐひす

佐藤春夫詩集(旺文社、阪本越郎編)の解説には、『海近き宿にただひとり泊っている主人公が、君(恋人)のいないさびしい胸に、一日中「うぐひす」の声を沁み通らせ、君への恋情を高ぶらせる。終行にいたって、「うぐひす」の声に狂うばかりの恋慕の情の強迫を覚える。』とある。彼がこの歌曲を完成したのは1944年(昭和19年)5月15日*2のことだった。

一方、1941年戦時中に原節子主演、熊谷久虎監督(原節子の義理の兄にあたり、彼女を芸能界に誘った人でもある)の国策映画「指導物語」が公開された。この映画の音楽を担当したのが早坂文雄であった。おそらく1939年に専属作曲家として東宝入社後、最初期の作品だった。彼はそれまで北海道で生活していたので東京の映画社会に入っていきなり、売り出し中の原節子と出会ってさぞ衝撃を受けたことだろう。それが、「うぐひす」に作曲するきっかけになったと考えても不自然ではない。

実は早坂文雄は私の父方の親戚である。彼は父方の祖母の従兄弟であり、私の父(作曲家)や叔母(声楽家:在ローマ)もその影響をうけて音楽家になった。ついでに書くと、祖母は私の父が結核になったのは、文雄さんから感染したものと信じていたし、実際仕事上の付き合いも深かったのでその可能性は十分あった。
その父が生前「文雄さんの恋人は原節子だ」と言っていたのを覚えている。また、その頃はまだ東京にいて演奏活動をしていた叔母も同様に感じていた。もちろん、そんな事実を表ざたにはできないから、表向き、早坂文雄はいつも原節子の付き人だった彼女のお姉さんに逢いに行くと言っていたのだ。映画評論家 西村雄一郎氏の著書「黒澤明と早坂文雄」(筑摩書房)では、早坂文雄は女優A(匿名になっている)の姉に恋したことになっているが、これはまんまと彼らの術中にはまったと言えないだろうか。

この「うぐひす」をソプラノ平山美智子が歌ったCDアルバムがリリース(「曼珠沙華」カメラータ・トウキョウ 2015年)されている。ぜひ一度聞いてみていただきたい。都節テトラコードを基調とする無伴奏の歌曲である。小節線が無く、かなり自由に歌われることが意図されている。心が震える曲であり、想いのこもった熱い演奏だ。

注:
*1 戦前、戦後の日本を代表する作曲家。映画音楽も、黒澤明監督「七人の侍」、溝口健二監督「雨月物語」、等、たくさん手掛けた。黒澤明監督の「白痴」、成瀬己喜男監督の「めし」では原節子が主演し、早坂が音楽を担当した。
*2「世界音楽全集 日本歌曲Ⅲ 」(音楽之友社 昭和46年 第2刷)の解説による。

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