音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

小林愛実 ピアノ演奏会 :ポーズ・デジュネ第1回

2016-04-20 23:17:30 | 演奏会雑感
 久しぶりにマチネー演奏会(4月20日 東京オペラシティ コンサートホール)を聴きに行った。2015年のショパンコンクールでファイナリストになった人である。若干20歳にして既に多数のコンクール優勝やリサイタル、オーケストラとの共演の実績がある。
 ともかく達者に弾くピアニストでモーツアルト、ドビッシー、リスト、いずれの曲も速いパッセージでは鍵盤の上を指が転がるように動き、且つ音の粒がそろっているので感心した。特に最初のモーツアルト作曲「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 K.573」では音の流れが心地よかった。また、リストの「巡礼の都市第2年 イタリアから」では技巧的な節回しや、腰を浮かして弾く打撃音が効果的で面白かった。
ただ、ドビュッシーの「版画 パゴダ/グラナダの夕べ/雨の庭」では音色の変化が少なくて退屈した。何故だろうか。小林さんの演奏ではハーフ・ペダルが多用されていたのだが、モーツアルトを演奏する場合にはこれが効果的に作用して、流れるような音楽を作り出した。しかしドビュッシーではハーフペダルを多用すると音色の変化が無くなり、音の陰影が聴こえなくなってしまう。ピアノという一つの楽器から様々な色の響きを紡ぎ出すのが彼の音楽の根幹なのでとても残念だった。もっとペダルを踏み込むところ、ハーフペダルのところ、ノン・ペダルのところをはっきり使い分けたらもっと色彩豊かなドビュッシーになるだろう。
 リストの曲でも同じことがいえると思う。様々なペダルを使い分けることによって流れるようなパッセージにとガツンという打楽器なフレーズの対比が鮮やかになるので、もっと芳醇な音楽が立ち表れてくると思う。M.ポリーニがNHKのインタビューに応えて「自分はなるペダルを使わないように心がけている。」と言っていたことを思い出した。
 ところで、今回の演奏会は開演が11:30と、マチネーとしても早い時間帯の演奏会だったが、平日にもかかわらず広い会場は6割以上埋まっていた。客層の年齢が高いのは当然だが、居眠りしている人が多いのが気になった。その結果か、演奏中に物を落とす人が少なからずいた。私の隣のご主人はプログラムを滑り落としたので奥さんが用心のためにパンフレットの束を取り上げていたっけ。
コメント
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