ブログの面白いところは
言葉にして捨てる
これですね。
人に話すと壊れた蛇口状態になります。
文章にすると
その面倒さや
感情を抜きにした気分になります。
口で「ばかやろう」といえても
文章で「ばかやろう」とはその場の気分では言えないものです。
感情が高ぶったときにはパソコンには向かう気もおきませんしね。
昔の日記と大きく違うのは
誰かが読んでいるという枠がありましから
隠微な世界に入り込む前に立ち止まれることでしょうか。
まあ、どうでもいいけど
意識する他人もしばらくやっているうちに消えてしまいます。
書いているときに思うことは
感性のいい人は、ものの見方の切り口がいい。
展開が巧みですね。
でも、素人の面白さだけは大切にしようと思っています。
朝日新聞の「天声人語」を読んでいると
一つのテーマを提示し、それらしい臭いをつけ
二つ目の基準となる、あるいは参考となる話題を提示して
一番目の話のつじつまをあわせる。
このパターンを読み取ると
いかに最後の言葉が陳腐な常識であったり
分別臭い忠告であることがよく分かります。
何か分らない。
それは本人も分らない
そんなブログに出会うと嬉しくなりますね。
分別臭さだけで年をとってきた
私には、そんなことはできないとしても
上手になることはやめようと思うのです。
言葉にして捨てる
これですね。
人に話すと壊れた蛇口状態になります。
文章にすると
その面倒さや
感情を抜きにした気分になります。
口で「ばかやろう」といえても
文章で「ばかやろう」とはその場の気分では言えないものです。
感情が高ぶったときにはパソコンには向かう気もおきませんしね。
昔の日記と大きく違うのは
誰かが読んでいるという枠がありましから
隠微な世界に入り込む前に立ち止まれることでしょうか。
まあ、どうでもいいけど
意識する他人もしばらくやっているうちに消えてしまいます。
書いているときに思うことは
感性のいい人は、ものの見方の切り口がいい。
展開が巧みですね。
でも、素人の面白さだけは大切にしようと思っています。
朝日新聞の「天声人語」を読んでいると
一つのテーマを提示し、それらしい臭いをつけ
二つ目の基準となる、あるいは参考となる話題を提示して
一番目の話のつじつまをあわせる。
このパターンを読み取ると
いかに最後の言葉が陳腐な常識であったり
分別臭い忠告であることがよく分かります。
何か分らない。
それは本人も分らない
そんなブログに出会うと嬉しくなりますね。
分別臭さだけで年をとってきた
私には、そんなことはできないとしても
上手になることはやめようと思うのです。