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社長のつぶやきブログ

  歴史探訪 後楽園 NO.2

2011-12-06 19:03:07 | 日記

 

   後楽園は今更言うまでもありませんが、日本三名園の一つとして全国的に

その名を知られております。

  当公園は岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じ貞享、(じょうきょう)

4年(1687)に着工し元禄13年(1700)には一応の完成をみたとのことです。

その後も藩主の嗜好に合わせて手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく

変えることなく現在に伝えられています。

  江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く保存され、歴史的な変遷を

知ることのできる、地方では稀な大名庭園であると記述されています。

  明治17年に岡山県に譲渡され、昭和9年の水害や昭和20年戦火によって

甚大な被害を受けたものの、江戸時代の絵図によって復旧をしております。

  昭和27年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され、後世に伝える

歴史的文化遺産として維持管理が行われています。

  前置きが長くなりましたが、後楽園の正門入り口横の自販機で入場券を買い

入園をしました。

  入口から左方向に進んだ為 、先ずは丹頂鶴が飼育されている鶴舎に着き

ました。ご覧のように愛嬌を振りまいてはいませんが、沢山の鶴が我々を特徴の

ある鳴き声で元気良く迎えてくれました。

  その鶴舎を少し通りすぎたところに綺麗な紅葉を見つけたので上方の写真に

収めました。

  そこから少し歩くと津田永忠の遺績碑が在ったので写真に収めました。これも

ご覧ください。

  後楽園観光の最初のリポートを終わります。

 

 


歴史探訪 後楽園訪問 NO.1 岡山県立博物館

2011-12-06 10:32:53 | 日記

  

  「灯台下暗し」とは良く言いますが、私もその例に洩れず長期に渡り此処

岡山市に在住していたにも拘わらず後楽園を訪ねるのは初めてのことでは

無いかと思います。

  4日の午前中に愛犬エミーに狂犬病の予防注射を接種させた後、自宅で

昼食を摂り胸躍らせながら後楽園に向かいました。

  後楽園の外周には花見で数度訪れましたが、まだその時は無料で駐車

することが出来たのに今回は立派なゲートが造られていて有料になっていま

した。そのゲートを通過して川原に下り区画の無い駐車場に車を留めました。

  ここからは後楽園の正面入り口まで歩いて数分かかりましたが、入口前に

ある広場でやけに目に付く銀杏の大樹を見つけました。この樹の形もさること

ながら、雲間から覗く陽に照らされて金色(こんじき)に輝く銀杏の樹は見事と

しか言いようが有りません。既に我々と同じ気持ちと思しき観光客が沢山樹の

周辺に集まり、思い思いの写真を撮っていました。私達も負けじとその景観を

カメラに収めましたのでご覧ください。

  後楽園に入園する前に先ずは県立博物館に入館しました。現在色々な

タイトルで展示会が催されていますが、残念ながら写真撮影は禁止なので

実物をお見せする事が出来ません事を御詫び致します。

  「吉備の遺跡巡り―貝塚ー」と言う考古学的な資料から始まり、「武将の

書状」では足利尊氏から確か援軍を要請するような書状が有ったように思い

ます。

  美術では「岡山の仏像」と銘打って岡山県の各地の寺社から集積された

素晴らしい仏像が展示されていました。中には国宝や国の重要文化財等に

指定された作品もあり、その威圧感に圧倒され厳粛な気持ちに陥りました。

  「刀剣」の展示場には主に長船町の刀鍛冶の製作した名刀がずらりと

展示されそれが放つ妖しいまでに美しい輝きに魅了されそうでした。その

真剣の重さ体験コーナーがあって、実際に手に持って見ましたが両の手に

ずしりとかかるその重量は可なりの物でした。1キログラムと重量が表示

されていましたが、昔の武将達はこんなに重い物を振り回していたのです

から、どれだけ凄い膂力を備えていたのかと驚きでした。

  最後に特別陳列品の「木樋管(もくひかん)」を目にする事が出来ました。

この管は18世紀初頭に後楽園内の花交(かこう)の池から旭川に排水する

為の施設として造られ、H19年度の発掘調査に依り見つかった物です。

  この木樋管の全長は18mに及び、当時としては最高水準の土木技術が

使われたとのことです。この木樋管の一部約6m以上のものが保存処理を

されて今回お目見えしたわけです。そして我々は土中に秘められた土木

技術の粋を目の当たりにして深く感心しました。

  これにて今日のリポートを終了致します。