棚ガレリで2/2まで開催中の個展「羅布泊書工書庫」が「複製される前提で作られた自作本による個展」なので、今まで本を作ってきてみての個人的な思い出をまとめてみようかと思います。
カロンズネットに載ったインタビューを補足するような内容にもなるかと思います、長くなりますがご一読いただければ嬉しいです。
ちなみにわざわざ「複製される前提で作られた」と前置きしてあるのは、1点ものと割り切って作った本もたくさんあるのでそれらと区別するためです。
いわゆるミニコミやZINE、フリーペーパーといったものと同じに考えていただいて問題ないです。
高校の時に自分の絵がクラブイベントのフライヤーに使われたりしたことはありましたが、自分で自分の絵を印刷物で外に出そうと考えたのは大学1年の時が最初でした。
2002年の冬、19歳の時に"ODDS&ENDS"(ガラクタの意)というフリーペーパーを作り始めました(2004年までに12号を制作)。
当時は大学に入ったものの何か「大学の中だけで満足したくない!」みたいなモヤモヤした気持ちがあったり、個展をやろうにも貸しギャラリーを借りる金もなかったり、しかし絵はいろんな人に見てほしかったりということで、自然とフリーペーパーという手軽にばら撒ける手段を選んでいた気がします。
タコシェや模索舎、レコード店ではクララオーディオアーツやロスアプソン、ギャラリーではappelやOFF SITEやGallery Art Spaceなんかに置いてもらっていました。
後になってみると、フリーペーパーを作っていたことでいろんな場所を知ったり足を運ぶきっかけができていました。
作ってなかったら行ってなかったかも…という場所もあります。
初対面の人に名刺代わりにホイホイ配れるのも良かったです。
OFF SITEは面出しでコーナーを作ってくれてたりしたし、appelにはフリーペーパーがきっかけになって絵を見てもらうようになりました(僕が強引に見せていたのもありますが)。
ちなみに2010年始めに渋谷の20202で行った個展「やまびこ(2LP)」では6年ぶりにO&Eの最新号#13を作りました。
これは20202の藤本ゆかりさんと泉沢儒花さんが以前OFF SITEとappelを運営されていたので、久しぶりにO&Eを作ろうかと1人で盛り上がり、制作したものです(今やっている棚ガレリの展示でもO&E#13は販売しています)。
話が前後しますが、「散歩の達人」2003年1月号に「恐るべし!フリペ大襲来」という特集記事が組まれ、O&Eも掲載されたことがありました。
ホットペッパーやbounceなどと同列に、「手書き系」カテゴリー内ではありますが僕のO&Eが紹介されるという、今考えても当時に考えてもビックリハテナな特集でした。
同じ「手書き系」で紹介された「故意の滝登り」というフリーペーパーの作者である滝口悠生君とはその後知り合いになり、最近でもたまーに会ったりします。
今となってはZINEという名前が、その定義はともかくメディア上でも流通し、絵や写真だけがポツンと載っている自作本は有象無象にありますが、2005年頃までは(僕が知らなかっただけだろうとは思いますが)あまり見かけることがなかった気がします。
「自分と同じようなものを作ってるやつはいないのか」と良く考えていました。
「散歩の達人」の大風呂敷なくくり方も、今見れば時代を感じるというか、まあしょうがないのかなと思ったりします。
04年までの大学生活の中では、2002年頃?に買った青山政史さんの"TRAFFIC"に非常に影響を受けました。
A3サイズの紙をタテ長に折って作ったドローイング集で、文字情報はタイトルのみ。
これを見た時は本当にビックリしました、今見ても名作です。
05年に大学を卒業してからはなんとなくO&Eも作らなくなりました。
現在路地と人の運営メンバーである原田企画さん(思えば2002年にappelで知り合ったので、原田さんとも長い付き合いです)のミニコミ「よりみち」(http://www.geocities.jp/harada_kikaku/yorimichi.htm)に少し絵を載せてもらったりはしましたが、1年ほど本を作らない時期が続きました。
そしてこの頃から「リトルプレス」という言葉が出てきた気がします。
ピエ・ブックスから「リトルプレスの楽しみ」という本が出たのが2006年の1月で、この本には「よりみち」も掲載されており、池袋のジュンク堂で発売記念フェアも行われた記憶があります。
appelでも「よりみち」関連イベントが行われ、僕も絵を展示させていただきました。
あと、関係ないですが08年にOPAOPAというユニットを一緒にやることになる郡司侑祐と、彼が作った自作の作品集を通して知り合ったのがこの頃です。
再び僕が本を作るようになったのは06年に入ってからだったと思います。
当時僕は素人の乱によく遊びに行っていました。
素人の乱はその時3人デモやPSEデモなんかをやっていたり、路上にちゃぶ台出してサンマ焼いて食ってたり、とにかく外で活発に何かをやらかしていた時期でした。
山下陽光さんがやっていた素人の乱2号店で展覧会をやらせてもらった後に「毎月とにかく何かやる」ことを決めた僕は、相変わらず金もコネもないので「ただの路上でもいいから、とにかく何かできないか」とあれこれ考え始めました。
そして自動販売機の下や古本屋の100円ワゴンの中にフリーペーパーを隠してmixiに告知し、宝探し的なイベント(?)を行うといったことをやりました。
その時に、作品の安全が保障されない場所でも気兼ねなく展開できるとか、街のいろんなスキマに忍び込ませることができるとか、絵画を見る体験と少し違い周囲の環境から切り離してそれ単体のパッケージを楽しむところがあるだとか、そういった特性に自覚的になり始めたような気がします。
これは大学の時は単純に「いろんな人に見てほしい」という動機が強かったのが、この頃になって「複製物としての本を使って、どんな出来事を立ち上げるか」という動機に変わってきたということなのだろうと思います。
そして06年夏に、Paper Talkという自作印刷物交換イベントを始めます。
これは陽光さんがやっていた「場所っプ」という、高円寺の高架下(路上)でただ飲んでいるのを「店」と名づけたというのがあって、そこで何かやれないかと思ったのが発端でした。
「何日の何時に印刷物何か持って集まれ~」という呼びかけに応えた人たちが集まり、酒飲んでしゃべりながら印刷物を交換し合います。
Paper Talkはその年の年末までに集中的に開催して、その後も2回ほどやりました。
素人の乱にいたみんなが結構参加してくれて、印刷物なんか作ったことないけど勢いで参加しちゃったって人の作るものがまたメチャクチャで面白かったりして、楽しい会でした。
人通りの多いところでやっていたら友達の友達みたいな感じで人がどんどん集まって、30人くらいの集団に膨れ上がった時もありました。
Paper Talkの告知をmixiで見て、lilmagの野中モモさんが連絡をくれたのもこの頃です。
Paper Talkをやり始めてすぐの06年10月、No.12 Galleryでnieves booksとの共同企画による展覧会「ZINE LIBRARY」が開催されました。
僕も飛び入りで参加させていただいたのですが、この頃からメディア上で「ZINE」という言葉をだんだん目にするようになっていった気がします。
07年以降、作家自作の作品集といった意味での「ZINE」という言葉が急速に流通していく反面、僕はクララやOFF SITEやappelなどの場所が無くなって本を持っていく場所が減ったような感覚がありました。
the pitchshiftersさんや萩田洋文さんの作品に圧倒されたり、NOPPIN新聞(後追いで見ましたが)の熱量に涙したりしていましたが、自分で作った本は友達と会った時に配るといった感じでした。
今はアーティストランによる小さい企画ギャラリーもたくさんあって本を持っていく場所が増えた気がするし、自作本を中心とした交流イベントもたくさんあるし、やりやすい環境になっている気がします。
こういうこと書くとなんだか爺さんみたいですが。
こんな感じでしょうか。
見る人によっては「そんなことはないだろ」という箇所もあるかとは思いますが、あくまで僕個人の実感です。
明らかな間違いがあればご指摘ください、修正いたします。
長文失礼しました~
カロンズネットに載ったインタビューを補足するような内容にもなるかと思います、長くなりますがご一読いただければ嬉しいです。
ちなみにわざわざ「複製される前提で作られた」と前置きしてあるのは、1点ものと割り切って作った本もたくさんあるのでそれらと区別するためです。
いわゆるミニコミやZINE、フリーペーパーといったものと同じに考えていただいて問題ないです。
高校の時に自分の絵がクラブイベントのフライヤーに使われたりしたことはありましたが、自分で自分の絵を印刷物で外に出そうと考えたのは大学1年の時が最初でした。
2002年の冬、19歳の時に"ODDS&ENDS"(ガラクタの意)というフリーペーパーを作り始めました(2004年までに12号を制作)。
当時は大学に入ったものの何か「大学の中だけで満足したくない!」みたいなモヤモヤした気持ちがあったり、個展をやろうにも貸しギャラリーを借りる金もなかったり、しかし絵はいろんな人に見てほしかったりということで、自然とフリーペーパーという手軽にばら撒ける手段を選んでいた気がします。
タコシェや模索舎、レコード店ではクララオーディオアーツやロスアプソン、ギャラリーではappelやOFF SITEやGallery Art Spaceなんかに置いてもらっていました。
後になってみると、フリーペーパーを作っていたことでいろんな場所を知ったり足を運ぶきっかけができていました。
作ってなかったら行ってなかったかも…という場所もあります。
初対面の人に名刺代わりにホイホイ配れるのも良かったです。
OFF SITEは面出しでコーナーを作ってくれてたりしたし、appelにはフリーペーパーがきっかけになって絵を見てもらうようになりました(僕が強引に見せていたのもありますが)。
ちなみに2010年始めに渋谷の20202で行った個展「やまびこ(2LP)」では6年ぶりにO&Eの最新号#13を作りました。
これは20202の藤本ゆかりさんと泉沢儒花さんが以前OFF SITEとappelを運営されていたので、久しぶりにO&Eを作ろうかと1人で盛り上がり、制作したものです(今やっている棚ガレリの展示でもO&E#13は販売しています)。
話が前後しますが、「散歩の達人」2003年1月号に「恐るべし!フリペ大襲来」という特集記事が組まれ、O&Eも掲載されたことがありました。
ホットペッパーやbounceなどと同列に、「手書き系」カテゴリー内ではありますが僕のO&Eが紹介されるという、今考えても当時に考えてもビックリハテナな特集でした。
同じ「手書き系」で紹介された「故意の滝登り」というフリーペーパーの作者である滝口悠生君とはその後知り合いになり、最近でもたまーに会ったりします。
今となってはZINEという名前が、その定義はともかくメディア上でも流通し、絵や写真だけがポツンと載っている自作本は有象無象にありますが、2005年頃までは(僕が知らなかっただけだろうとは思いますが)あまり見かけることがなかった気がします。
「自分と同じようなものを作ってるやつはいないのか」と良く考えていました。
「散歩の達人」の大風呂敷なくくり方も、今見れば時代を感じるというか、まあしょうがないのかなと思ったりします。
04年までの大学生活の中では、2002年頃?に買った青山政史さんの"TRAFFIC"に非常に影響を受けました。
A3サイズの紙をタテ長に折って作ったドローイング集で、文字情報はタイトルのみ。
これを見た時は本当にビックリしました、今見ても名作です。
05年に大学を卒業してからはなんとなくO&Eも作らなくなりました。
現在路地と人の運営メンバーである原田企画さん(思えば2002年にappelで知り合ったので、原田さんとも長い付き合いです)のミニコミ「よりみち」(http://www.geocities.jp/harada_kikaku/yorimichi.htm)に少し絵を載せてもらったりはしましたが、1年ほど本を作らない時期が続きました。
そしてこの頃から「リトルプレス」という言葉が出てきた気がします。
ピエ・ブックスから「リトルプレスの楽しみ」という本が出たのが2006年の1月で、この本には「よりみち」も掲載されており、池袋のジュンク堂で発売記念フェアも行われた記憶があります。
appelでも「よりみち」関連イベントが行われ、僕も絵を展示させていただきました。
あと、関係ないですが08年にOPAOPAというユニットを一緒にやることになる郡司侑祐と、彼が作った自作の作品集を通して知り合ったのがこの頃です。
再び僕が本を作るようになったのは06年に入ってからだったと思います。
当時僕は素人の乱によく遊びに行っていました。
素人の乱はその時3人デモやPSEデモなんかをやっていたり、路上にちゃぶ台出してサンマ焼いて食ってたり、とにかく外で活発に何かをやらかしていた時期でした。
山下陽光さんがやっていた素人の乱2号店で展覧会をやらせてもらった後に「毎月とにかく何かやる」ことを決めた僕は、相変わらず金もコネもないので「ただの路上でもいいから、とにかく何かできないか」とあれこれ考え始めました。
そして自動販売機の下や古本屋の100円ワゴンの中にフリーペーパーを隠してmixiに告知し、宝探し的なイベント(?)を行うといったことをやりました。
その時に、作品の安全が保障されない場所でも気兼ねなく展開できるとか、街のいろんなスキマに忍び込ませることができるとか、絵画を見る体験と少し違い周囲の環境から切り離してそれ単体のパッケージを楽しむところがあるだとか、そういった特性に自覚的になり始めたような気がします。
これは大学の時は単純に「いろんな人に見てほしい」という動機が強かったのが、この頃になって「複製物としての本を使って、どんな出来事を立ち上げるか」という動機に変わってきたということなのだろうと思います。
そして06年夏に、Paper Talkという自作印刷物交換イベントを始めます。
これは陽光さんがやっていた「場所っプ」という、高円寺の高架下(路上)でただ飲んでいるのを「店」と名づけたというのがあって、そこで何かやれないかと思ったのが発端でした。
「何日の何時に印刷物何か持って集まれ~」という呼びかけに応えた人たちが集まり、酒飲んでしゃべりながら印刷物を交換し合います。
Paper Talkはその年の年末までに集中的に開催して、その後も2回ほどやりました。
素人の乱にいたみんなが結構参加してくれて、印刷物なんか作ったことないけど勢いで参加しちゃったって人の作るものがまたメチャクチャで面白かったりして、楽しい会でした。
人通りの多いところでやっていたら友達の友達みたいな感じで人がどんどん集まって、30人くらいの集団に膨れ上がった時もありました。
Paper Talkの告知をmixiで見て、lilmagの野中モモさんが連絡をくれたのもこの頃です。
Paper Talkをやり始めてすぐの06年10月、No.12 Galleryでnieves booksとの共同企画による展覧会「ZINE LIBRARY」が開催されました。
僕も飛び入りで参加させていただいたのですが、この頃からメディア上で「ZINE」という言葉をだんだん目にするようになっていった気がします。
07年以降、作家自作の作品集といった意味での「ZINE」という言葉が急速に流通していく反面、僕はクララやOFF SITEやappelなどの場所が無くなって本を持っていく場所が減ったような感覚がありました。
the pitchshiftersさんや萩田洋文さんの作品に圧倒されたり、NOPPIN新聞(後追いで見ましたが)の熱量に涙したりしていましたが、自分で作った本は友達と会った時に配るといった感じでした。
今はアーティストランによる小さい企画ギャラリーもたくさんあって本を持っていく場所が増えた気がするし、自作本を中心とした交流イベントもたくさんあるし、やりやすい環境になっている気がします。
こういうこと書くとなんだか爺さんみたいですが。
こんな感じでしょうか。
見る人によっては「そんなことはないだろ」という箇所もあるかとは思いますが、あくまで僕個人の実感です。
明らかな間違いがあればご指摘ください、修正いたします。
長文失礼しました~