牧志の市場通りを壺屋方面に進み、アーケードを抜けると、壺屋焼物博物館の手前の左側に細い坂道があります。
かつて、天ぷら屋が軒を重ねたというところから、てんぷら坂とよばれています。
そのてんぷら坂の左側の崖の斜面に沿って、壺屋の住民たちが掘った防空壕の壕口が並んでいます。防空壕は1944年の10・10空襲の前日に完成したということで、近隣の住民たち約千人が避難したということです。
てんぷら坂です。坂下に立つと、左手が市場、右手が壺屋焼物博物館の方向になります。
てんぷら坂を登り、上から見下ろします。後方は桜坂方面になります。右手のフェンスの奥に防空壕の入り口があります。
2つの壕の入り口が、金網で塞がれています。中の看板は「ごみ捨て禁止」というもの。壕の案内板はどこにもありません。
沖縄戦で使われた壕はほとんど自然壕ですが、ここ壺屋は当時から住宅密集地であり、住民たちが総出で手掘りしたということです。
てんぷら屋の建物裏に、壕口があり、セメントで塞いだ跡があります。壕はこの周辺に6箇所掘られ、中でつながっていたといいます。
てんぷら坂の下の店舗の裏にも、埋もれかかった壕が見えます。2階の高さです。戦後、道路が掘り下げられたために壕口が高くなってしまっています。
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