「奉安殿」をご存じでしょうか。戦前、天皇・皇后の写真(御真影)を安置するために全国の学校に設置された建造物です。明治33(1900)年に文部省小学校令施行規則で、「御真影」への最敬礼が義務づけられました。教員・生徒たちは、登下校のたびにこの奉安殿に向かって敬礼することを強制され、沖縄にも皇民教育が浸透されていったのです。
この御真影を守ることが学校長の最大の使命であり、戦時中、写真を守るために命を落とした校長もおりました。
本部町謝花1番地にある本部町営団地に奉安殿が残されています。
本部町営団地は、本部国民学校の跡地に建設されました。建物の間に、まるで団地の設備の一部であるかのように奉安殿が残されています。
堅牢な石造りで、モルタルが塗られています。コンクリートの暑さは15cm位、このなかに御真影と1887年に制定された教育勅語が納められていたということです。
扉はありませんが鉄製のヒンジが残っています。他の現存する奉安殿から類推すると、鉄製の扉が取り付けられていたと思われます。
全国の学校に造られた奉安殿も、戦後破壊され、現存するものはわずかです。学術的にも非常に貴重な遺跡と言えると思います。
読んだことがなかったのですが、
初めて読んでみました。
もっと歪んだことが書かれていると思ったら、
12の徳目のうち、最後の12を除くと、
案外まともなことが書いてあるに
とても意外な感じを受けました。
でも、これは12番目を言いたいがための
導入部にすぎなかったのかもしれません。
そもそも、
「皇祖皇宗」臣民」「国体」という言葉自体に
歪んだ思想が充満していますが……
教育勅語自体は決して間違っていないです。
12番目の、国難に際しては力を尽くすというくだりも、言ってることは正しいと思います。
ただ、これが皇民教育に利用されたのですね。
で、軍事国家にまっしぐら。
時の権力者って自分の都合のいいように利用していくのですよ。