管理人のうちなーライフかりゆし日記

管理人てぃんがーらが沖縄の生活を綴ります。

伊江島の戦跡1 山グシのトーチカ跡

2012年03月24日 | 博士の研究日記

 伊江島は沖縄本島北部、本部半島の北西9kmの海上に浮かぶ周囲22.4kmの離島です。平らな島ですが、東よりに標高172mの城山(グスクヤマ)がそびえ、遠目にも三角形の山の形がよく分かります。城山はタッチューの愛称で親しまれる島のシンボルとなっています。
 この城山は、離島における最大の激戦地であり、山の周囲には縦横に陣地壕が掘られた要塞となっていました。
 1945年4月16日に米軍は伊江島に上陸します。日本軍によって村民も戦闘に動員され、鉄の暴風雨のなか、多くの民間人が犠牲となりました。約1,500名の村民が死亡したと言われています。その中には集団自決で亡くなった村民もいました。
 伊江島の戦闘が、沖縄戦の縮図と言われる所以です。

 城山の麓、伊江村字東江上に唐小堀(ハラクブ)溜池があります。この灌漑用水池は唐から来た冊封使に「城山と山グシに火難の相があるので池を掘った方がよい」と言われ、造られたということです。唐小堀溜池と道路をはさんだ向かいにの山の斜面に、コンクリートで造られたトーチカが残されています。

 道路側から見ると、岩にしか見えませんが、この付近には戦時中、独立混成第44旅団の3個中隊からなる第2歩兵大隊が配備されており、第2歩兵隊第3中隊が構築した陣地壕と言われています。

 内部に入ると天井、柱は鉄筋コンクリートで作られていることが分かります。流入した土砂により、高さは1mほどになっています。天井からはコンクリートに含まれる石灰が小さな鍾乳石を作っており、70年近い歳月を感じます。

 入り口(道路側)を中から見ます。現在道路によって地面が下がっていますが、おそらく連絡壕によって周囲の陣地と結ばれていたと思われます。

 入り口と反対側の開口部分。ここから米軍を狙ったのでしょうか。

 



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沖縄の歴史 (飲み友)
2012-03-24 13:13:53
勉強になりますm(_ _)m
しかし、痛々しい限りですが当時の方々に取っては必死だったでしょうね

毎度ですが、早く地球上から『戦争』の二文字が
消え去る事を願うばかりです
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コメントありがとうございます。 (てぃんがーら)
2012-03-24 13:18:30
当時は自分たちの行っている戦争は正しいと思っていたのでしょうね。
大本営発表は真実とかけ離れていたのに、皆信じていたのです。

ま、今の政府発表と変わるところ無いですが。

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Unknown (☆アルファ☆)
2012-03-25 12:12:02
今の原発事故に関する政府の発表は、
基本的に大本営発表とほとんど一緒です。
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感謝! (さゆりさん)
2015-09-13 21:46:18
天川さま。ご掲示、ありがとうございます。明日(2015.09.14
)伊江島に参ります。戦時下、戦後の苦しみを体験された方々の慰霊がメインです。
 しっかりと、哀悼の意を捧げてまいります。
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