宮古島市平良にあるドイツ皇帝博愛記念碑。
141年前の今日はドイツの商船ロベルトソン号が宮古島近海で遭難した日です。
1873年(明治6年)7月11日のこと、宮古島は台風でした。中国の福州からお茶を積んで出航し、オーストラリアに向けて航行していたドイツの商船「R.J.ロベルトソン号」は、宮古島の近海で暴風雨に遭遇しました。2本のマストは強風に折られ、乗員10名のうち2名を失いながら荒海を漂流し、宮国村沖に座礁してしまいました。
これを見た島民はサバニで救助に向かうのですが、波が高くて船に近づくことができません。そこで波がおさまるまで夜間海岸で松明を焚き、乗員たちを励まし続けました。
翌朝、風がおさまると漁師たちが舟を出し、8名の乗員を救助し、手厚く看護をしました。
ロベルトソン号の船長は帰国できるように宮古島の役人に船を手配してくれるように要望します。役人は首里に報告するのですが、返答が一向に無いため、難破から34日後に帆船を手配し乗員を帰国させました。
この事実を知ったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、宮古島の人々の博愛精神に感動し、1876年軍艦チクローブ号を派遣し、平良港の近くに博愛精神を称賛する記念碑を贈呈、設置しました。
宮古島市上野にあるうえのドイツ文化村。「独逸商船遭難の地の碑」があります。
白く波が立っているリーフのあたりでロベルトソン号は座礁しました。
不思議なことにこの事実はその後長らく人々から忘れられていました。1933年に文部省が教科書の教材を募集する企画に、宮古に旅行に来て記念碑に興味を持った日銀君寝支店長の松岡益雄氏が応募、当選したことにより、広く日本に知れ渡るようになりました。
この博愛精神はアララガマ精神と並んで、宮古人の人となりを表す言葉となりました。
今日は孫の一歳の誕生日を迎えました。
字が読めるようになりましたら、今日のぺ-ジ
を孫に見せてあげます。
この度台風8号の様子、(我が家の様子を)
きっと思い起こすことが出来ると思います。
この精神が日本中に広まりますように。
宮古島まもるくんと共に 忘れられない場所の一つです。
訪れた ドイツ首相シュレーダー・・名前が付いた道路がありましたね。
お元気でお過ごしでしょうか?
ブログ更新されたら、そちらに・・・と思
っていたのですが、もう28日になり、
実は25日で、私のブログを閉じてしまい
ましたので、こちらにお便り致します。
ブログを立ち上げて、何も解らない
状態でいる時から、コメント頂いて
お陰さまで、なんとか続けて来れました。
本当は若い振りしてもっと・・・と欲が
出てしまいそうですが、先月の体力
と、また1ヵ月後の体力は落ちていて
もう頑張る、と言う訳にはいかなくなり
ました。これからは、周りの人たちと
楽しく余生を謳歌したいと思います。
遅ればせのお礼になりました。
本当にありがとうございました。
沖縄住むほどに、今素晴らしいと感じる
までになりましたよ。てぃんがーらさん
のお陰です。今本土でお辛くありませんか?
どうぞ、お元気で乗り越えて、沖縄に
お帰り下さいますように。
どうぞ楽しい日々でありますように、
お祈り致します。
私の最後のブログを感謝して添付いたします。
http://blog.goo.ne.jp/hiezimachie
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お陰さまで、なんとか続けて来れました。
本当は若い振りしてもっと・・・と欲が
出てしまいそうですが、先月の体力
と、また1ヵ月後の体力は落ちていて
もう頑張る、と言う訳にはいかなくなり
ました。これからは、周りの人たちと
楽しく余生を謳歌したいと思います。
遅ればせのお礼になりました。
本当にありがとうございました。
沖縄住むほどに、今素晴らしいと感じる
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どうぞ、お元気で乗り越えて、沖縄に
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削除お願い致します。
お元気でしょうね?!
ファンはますます増えて、私も元気を
出して、新しく出直したいと思っています。
そろそろ、近況をお知らせくださ~い。