ゆいレール小禄駅の東側に、田原公園があります。この公園の中央に小高い丘があり、周囲に木陰が多く、噴水や小川が配置され、夏には涼を求める市民の憩いの場所になっています。
この丘の地下にかつての沖縄戦に海軍の陣地が構築されました。
丘に登る階段脇に壕口があります。擁壁とともにコンクリートで補強され、扉で閉鎖されています。
中を窺うと整備されきちんと保存されているのが分かります。
当時のままの送電用電線が残されています。
周囲に壕口は4ヶ所確認できました。
設置された案内板によると、
カテーラムイ(寿山)旧海軍壕
海軍航空隊巌部隊の本部陣地壕。日本軍は、この地を寿山と称した。小禄飛行場防衛のため、小禄・豊見城一帯では、海軍少将大田実司令官の指揮下に連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が掘られた。その一つが本壕で、1944年8月から12月にかけて住民も動員して突貫工事で完成した。総延長は350mで、その中に司令室・兵員室・暗号室などが設けられた。1945年6月4日、米軍は飛行場のある字鏡水に上陸、戦闘が始まった。6月7日、米軍はここカテーラムイ一帯に激しい攻撃を加え、数日で制圧した。壕内には最大1000人余の将兵・住民がいた。南部への撤退、避難民、戦死者数ともに不明であるが、8月段階でも約50人が壕内に留まっていたという。
とのことです。
上空から見ると森の形が寿の字に似ていることから「寿山」と名付けられたそうです。米軍は「馬乗り攻撃」といって丘の上から穴を開けて壕内にガソリンを流し込み、火をつけて攻撃しました。
ガソリンを流し込んで火をつけたのですか!
米軍はまず投降を呼びかけるのですね。
ところが日本軍は捕虜になることを拒む。
民間人が投降しようとすると、後ろから撃つ。
壕から出てくるのは、一人でも米兵を道連れに玉砕するときだけ。
で、米軍は日本兵を追い出すためには中から燻り出すしか無かったのですねえ。
ガソリンを流され 火を付けられ・・どんな思いで亡くなったかと思うと 酷過ぎますね。
ほんとは 捕虜になるなと教え込んだ日本軍の罪が大きいのでしょうが・・。
日本軍は、住民が捕虜になると、軍の機密が米軍に漏れることを恐れた。
だから住民が方言で話すと、スパイ容疑で処刑した。
要は沖縄人を信用していなかったのです。