沖縄には多くの離島があります。離島では本島の様な地上戦はなかったものの、座間味や阿嘉のように米軍が上陸した島では集団自決も行われました。そして多くの島々にも戦争の遺構が残っています。
戦跡シリーズ第二弾は、離島の一つ、今やリゾート地として有名な宮古島からご紹介します。
佐良浜行きのフェリー乗り場の隣にパイナガマビーチという海水浴場があります。市街地から近く、那覇の波の上ビーチみたいなところで、地元の人たちや観光客のお手軽レジャースポットです。休日ともなれば、ビーチパーリーをする人も見かけます。
パイナガマビーチは、海に向かって右手は平良港の防波堤、左手は岬になった崖に挟まれています。その崖に近づくと、満潮になれば波をかぶる位の位置に、怪しげな穴が見えてきます。
岩の隙間にコンクリートで造られた長方形の穴。幅約70cm、高さ約15cm位の開口部分で、奥に行くほど幅は狭くなり、20cm位になっています。コンクリートの厚みも60cm位あり強固な作りであることが分かります。
これは、平良港に上陸する米軍を迎え撃つために、日本陸軍沿岸警備隊が構築したと思われる機関銃陣地壕跡です。
内部は2m四方位の空間になっており、左側に連絡通路があり縦穴で上部とつながっている構造ですが、縦穴部分は崩落している様子です。
このような狭い穴の中で、沿岸守備隊の隊員は一人機関銃を構えていたのでしょうか。こういう戦跡を見るといつも思うのですが、日本軍はこんな機関銃陣地一つで米軍の上陸を阻止できると本当に思っていたのでしょうか?米軍は上陸する前に海岸の地形が変わってしまうほどの艦砲射撃を繰り返します。それが分かっていながら、どういう考えでこのような陣地を造ったのでしょうか?私には気休めにしか思えないです。ま、今の原発事故の対策も似たようなものですが。
作戦とか備えが多いように思います。
でも逆に、人殺しのための作戦に
リアリティがありすぎるのも怖い気がしますが……
そうなんです。
いつもそう思うのですよ。
本気で、こんな構築物造って米軍と対峙するつもりだったのだろうかと。
あまりにも拙いのです。
こういう機関銃壕が20も30も並んでいるなら別ですが、ぽつんと1つですよ。
次回、訪問時には是非と思いますが・・・今後、訪沖時には
このBlogを参考にして、訪れてみます
しかし、何時になったら『戦争』と言う二文字は消えるのでしょうか?
悲しい限りであります
今でも世界のどこかで国と国の争いが行われています。
本当にいつになったら愚かさに気づくのでしょうか。
それだけに、戦跡は残しておかねばと思います。
行政がきちんと保存してくれればいいのですが。
今の階段式になる前のコンクリート護岸の時に埋められました。
ちなみに出入り口は上部になります。