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60才からの僕の第二の人生

仕事は無上の喜び
理想を高く掲げて、突き進む
60才からの僕の第二の人生

『告白』

2020-08-08 04:40:46 | 日記
もう、15年ほど前になる。
僕の子供は3人いて、一緒に住んでいた。
僕は、教育熱心であった。
子供は自由にさせればいいという考えの親も多いが、
それでは隣のおじさんと親との違いはない、と思っていた。

子供が自由に育った結果、とんでもない犯罪者になってしまったとする。
隣のおじさんは、しょうがない、と言うであろう。
しかし、その子の親は、しょうがない、で済むのであろうか?
その子供への責任、社会への責任。
何か起こってからでは、もう責任はとれない。
そう考えると、自分の命をかけてでも、子供の時に教えなければならないことがあるのではないだろうか?

子供を自由にさせるのは、親は楽だ。
何の努力もいらない。
何があろうと、ほったらかしだ。

それに引き換え、親が一生懸命子供に関わったらどうだろう。
最低限の生きていけるだけの能力と人としての最低限のモラルを教えれば、楽しく生きていけるのではないだろうか?
もしそれでも、万が一とんでもない犯罪者になったとしても、子供は親の愛情だけは、
感じ取るのではないだろうか?

僕はそんな思いから、子供にはでき限りのことをしようと思った。
ぶん殴ったことも、何度もある。
もし今だったら、一度くらいは警察を呼ばれるかもしれない。
しかし、ぶん殴れるのは親だけなのだ。

勿論、高校生の男が僕に勝てる訳もないから、子供は口では逆らうが、
僕がいくらぼこぼこにしようが、僕に向かってこなかった。
僕は、そんな子供にいつも言っていた。
「かかってくるなら、いつでもこい。バットで後ろから殴ってもいいから。」
と言っていた。
その位、力の差は歴然だった。

引きこもりを容認している親が多いと思う。
でも、とにかく僕は絶対に許さない。
なぜなら、それは問題の先送りに過ぎないからだ。
引きこもりから引き返せなくなり、どうすることもできなくなった時に修羅場を迎える。
ならば、今その修羅場に向かっていくべきであると思う。

その様に僕に厳しく育てられた子供たちだか、今は仲良くやっている。
僕にボコボコにされながら育ったが、そのことを言う子はいない。
子供たちはどう思っているのだろうか?