goo blog サービス終了のお知らせ 

60才からの僕の第二の人生

仕事は無上の喜び
理想を高く掲げて、突き進む
60才からの僕の第二の人生

バイアス

2025-01-04 01:53:14 | 
僕の考えは、完全にオリジナルなものではなく世間やマスコミによる考えに影響されていると思います。
一番は、「労働は苦役だ」と言うことです。
「食べるために、仕方なく働く。労働者は資本階級に支配されている」
これは産業革命の資本主義に対抗する共産主義者の基本的な概念です。
僕は仕事に関して、そうは思いません。
まずこの世は自由主義です。
僕がこんなブログを書いても捕まることはないでしょう。
つまり、勝手に何でもでき、金儲けもやっていいのです。
しかも、いくら儲けもかまいません。
1万円位の果物や魚を仕入れて行商ができるのです。
この仕事の基本が、自由にできるのです。
つまり、誰でも好き勝手に商売、いや仕事ができるのです。
最近行ってきたフィリピンでも、街中で水を売っている幼い少女がいました。
自分で決めた仕事を、小資本でできる、これが資本主義の根幹です。
会社に雇われなくても仕事ができるのです。
自分で商売できるのに、会社に雇われたいと思った時から甘えが生じます。
そのことを理解して欲しいのです。
定年退職してから、仕事がないという人がいます。
ハァ?
仕事は無限にあります。
自分で作り出せるからです。
雇われたいという甘えを捨てれば、いくらでも働けるのです。
そう考えれば、仕事にも会社にも敬意が生じます。
人や世の中に仕事を通して貢献できることが何よりの喜びです。


3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2025-01-04 14:04:56
他人や社会に貢献することがなによりの喜びだ、というその思いは、働こうが働かなかろうが、ただ生きていくことだけでは決して満足できない理由の一つです。
貢献は、労働による生産以外に、それを消費することで得られる満足感によって始めて達成されるものです。
「ただ生きていく」ということから解放されるる条件の一つとして、労働の自由はそれなりに満足感を得られるのは確かなことでしょう。
しかし、敬意を払える仕事や会社の条件に必要なのは、働くことで得られる自己満足的合理性よりも、他人や社会に対する倫理的義務を果たすべく、自身の自由や満足を制限もしくは抑制することが可能である限りにおいてでしょう。
返信する
zip様へ (ひでぼう)
2025-01-05 02:39:07
制限や抑制なんて、一切ありませんよ。
全くの自由です。
自由に働いてください。
この日本にいる限り、自由に働けます。
まず、敬意をもって働けるどのような仕事をするか決める。
商工会議所に行って、相談する。
お金を借りる。
すぐに、会社を作って仕事を始める。
こんな簡単なことに制限がありますか?
返信する
Unknown (575)
2025-05-05 16:32:53
こん○○は

興味深い考え方ですね。
この世は自由主義、
自分の仕事は自分で創る
自己自律心が、強い一本貫徹されている
証拠ですね。
私は基本的指示したい考え方です

 ただその一方で
破綻寸前とか窮地に立ちつつある状態だと
人は極度に弱気になってしまっていたり、
成功体験経験不足から、
世間の荒波に二の足を踏んでしまったり、
余りもの精神的ダメージが大きくて
気力が全く出ないこともあります。
 そういうときは、
自己自律が貫徹出来ません。
 人につかわれておカネを得て
生活にあてるのも、
そういう場合にはありかなあ??
 または、それで幸福と感じられる
ならば、強いて全面的自己自律まで
ようさなくてもよいのではないかなあ??
とも、ふと思います、、、

 結局は、個々人が
自分が生きていくのに
なにに幸せを感じるのか?
 「自分のタマシイが
最大の幸福感を感じることを
目指す」のが
いちばん幸せなのかな?
なんて、私はどことなく感じております。

人間って、喜びを感じ、幸せ
でありたいですものね?この見地から
そう考えてみました、、、


 と、、、ふと、思ったくらいの、
本当にか~るい個人的見解で、
失礼いたました~

 興味深い記事ですね、、
有り難う御座います
https://blog.goo.ne.jp/575
どうぞ宜しくお願い致します( `・ω・´)ノ ヨロシクーま575
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。