話題1 日本人全体の歴史 田場 実
アフリカで誕生した現生人類は、日本へも長年にわたって渡来した。それぞれは各地に百人~千人程度の単位で定着して、「氏族」を構成した。つまり日本全体では耶馬台国もどきが数百国あった(2世紀の推定人口は70万人)。その中でトップに立ったのが「天皇氏」であるが、7世紀の飛鳥時代になっても、大和の国北部の9豪族の一つに過ぎず、全国(当時は関東から九州北部まで)でも、「出雲氏」を始めとするより大きな豪族が併存していた。天皇氏自身も、崇神王朝(三輪王朝)・応神仁徳王朝(河内王朝)・継体王朝(近江王朝)と別氏族だったという王朝交代説がある。(注:現天皇は継体王朝の末裔)。現代のような中央政権統一国家が数千年前からあったという発想は噴飯ものである。
話題2 「倭国」と「日本国」 中尾昭二
日本列島の古代史を探求しようとすれば中国側資料は不可欠と言ってよい。すなわち、わが列島住民を「倭人」、その国を「倭国」や「倭奴国」あるいは「俀国」などという言葉で、それぞれの時代に応じた一つの王朝の国として記述している。それらの史書を年代順に並べると、前2~1世紀を扱った「漢書」から、「後漢書」(1~3世紀初)、「三国志」(3世紀)、「晋書」(3世紀後半~5世紀初)、南朝の「宋書」(5~6世紀)等、「随書」(6世紀後半~7世紀初)などである。ところが次の「旧唐書」(7~10世紀初)になると、その初唐期において、列島内に二つの王朝があると述べている。それは、「倭国」と「日本国」の二つの国であり、7世紀は、列島の古代史に大きな断層があるーーーーと言うことができる。
次回の「こぶし会」 日時:5月27日(月)午後1時半から
話題1 ”愛国心”と共感 松本文郎
話題2 戦後史の正体 山根信義