話題 1 事故分析と再発防止対策の一考察 福増満廣
世情大事故が発生すると、決まって事故を起こした組織の長が出てきて「事故の原因究明と再発防止を実行します」と頭を下げる姿を良く見かけるが、あまり実効性のある対策は見えてこない。マスコミも頭を下げられると、それ以上の追及はしない。むしろ追及の方法を知らないからであろう。 そこで本考察では、事故原因の一つの分析方法を解説した。事故の原因には、直接原因から深因を辿ると、間接,背景、根本原因など複数の原因となる事象が浮かび上がってくる。これを「原因の連鎖」と称している。この原因の連鎖を深く、広く進めると、止めどなく原因項目が増加し、整理のつかない発散現象を起こしてしまうように考えられるが、さにあらず、13項目程度の共通要因に収斂していく事がわかった。 この原理は、品質管理の考え方から帰納的に発見したものである。すべての管理手法、例えば、目標管理、在庫管理、安全管理などに適用されているP、D、C、Aの管理サークルは、そもそも米国のデミング博士が考案したもので、当時においてはデミングサークルと称していた。P、D、C、Aサークルをスムーズに回転させるためには、CからAへ引き渡しが順調にいかないと、このサークルの回転がストップし、工程の進歩・改善に歯止めがかかってしまう。そこで品質管理ではCで問題を発掘し、Aを有効ならしめるためにて徹底的に原因を究明するとともに的確な再発防止対策を案出して行く習慣がついた。 ところが日本では人身事故を伴う大事故においては、その原因究明を阻む国家的習慣がある。それは法律である。大事故の場合、まず消防署が人命救助に駆けつけ、続いて警察が原因究明に動く。事故当事者は警察の捜査が終了するまで、ことの事実を聞かれても黙秘の権利を行使する。したがって再発防止対策には相当の時間がかかり、中途半端に終わることが多い。 この点米国では、事故の原因に故意または悪意がない限り、「現場で運転、連絡調整に従事したものははもとより、当該設備の設計、建設、審査、検査等に関与した個人に対する責任は追及しない」ということになっている。この事実は、原因究明と再発防止対策に関して日本は米国に対して大きなハンデーを持っているといわざるを得ない。 もう一つ日本と欧米とでは「安全」に関する取り組み方に大きな相違点がある。すなわち日本では安全を「危険があるかないか、0か1か」と考えてきたのに対し、欧米では「リスクという概念を使って、リスクの大きさに所定のレベル以下であれば安全とする」と考えてきたのである。これは品質管理の考え方で、この世に絶対的という安全ははあり得ず、如何に完璧でも、ある程度のリスクは残る。製品を扱うプロセスにおいては、リスク許容可能なレベルまで低減させ、相対的に安全である状態にすれば許容できるとしている。 許容可能なリスクとは、目的への適合性、費用対効果及び社会的慣習のような諸要素により決定される。また組織における諸要素(技術、知識及び経済的に実現可能な水準など)が変化したときは、許容可能なリスクのレベルを見直すことが必要である。
話題 2 「安保法制成立」と日本の行方 松本文郎
第2次安部政権が矢継ぎ早で押し進めた「特別秘密保護法」「安全保障関連法」が成立し、右傾化する日本の行方が国民の危惧の念を深め、10年間上昇し続けてきた前立腺PSA数値(7月末)が235.34となった私は、「サヨナラだけが人生だ」の大詰めで、安らかに旅立てないもどかしさを感じています。 あの無謀な太平洋戦争のきっかっけの満州事変前の日本は、敬愛して尽きないアインシュタイン(1992年)、チャップリン(1932年~1961年)、ヘレン・ケラー(1937年)らが来日し、絶賛した伝統的文化と自然景観の「美しい国」でしたが、「美しい棚田を守る」「国民の命と平和な暮らしを守る」と声高な安部首相への私のアンサーは、浦安市戦没者遺族会の”みたま祭”(2015.7)に奉納した”懸けぼんぼり”(7回目)の書画「美しい棚田を護るのは、戦争でなく平和です」(画:能登の棚田)。 この「話題」でアピールしたいのは、18歳の孫・遥大(ようた:中高一貫校渋谷幕張・高3)の世代に引き継ぐのは、安部政権がめざすような国であってはならない、ということです。 ブッシュ(子)政権がメチャクチャにしたイラクで出現した「IS]が中東に齎した混迷、ウクライナをめぐるNATOとロシアの対峙、中国の海洋進出への日米同盟の対応など、動乱と紛争の火種を抱える世界で、高齢・少子化と経済低迷の日本が歩むべき道の選択を誤らずに、孫・遥大の世代にこの国を引き継ぐのが、戦後日本を再建した私たち世代の責務と考えます。 安保法制を巡り見解を異にする国民世論は大別して、経済大国の日本を築いた憲法九条の平和主義を護ろうとする過半の国民と、緊張が増す安全保障環境下で日米同盟の強化を図る過半未満でした。国民の大半は、日本の若者が地球上の所かまわず米国と一緒に戦争に参加して殺し合いをすることは、在外邦人の命と安全を守るどころか、重大な危険に曝すことになると危惧しているのです。(米国と敵対する「IS」の”一般日本人殺害”声明) 「戦後レジームからの脱却」を唱える安部首相は、「集団自衛権の法制化」で戦後日本の安全保障政策の歴史的転換にふみきりました。「戦後レジーム」とは、米国による日本の再軍備要請を断った吉田茂元首相とそれを引き継ぎ、「所得倍増計画」で経済大国への道を邁進した池田勇人元首相の歴代保守政権のことですが、”そこからの脱却”を宣言する安部首相と政権与党がめざす行方が、大半の国民には理解できないのです。 ”安保政策の次は経済政策”だそうですが、そもそも、第2次安部内閣を生んだ総選挙の争点は、アベノミクスと称する経済政策で、安保政策にはほとんど触れていませんでした。投票総数の20数%の得票で与党絶対多数を占め、我武者羅に推し進めた「安保法制成立」までのヤリ口は、国民を欺いたものと言われても過言ではないでしょう。 ”でき試合”のように進行した国会審議に新しい風を吹き込んだのは、全国津々浦々(3500ケ所)で沸き起こった老若男女の一般市民による反対集会・デモでした。麻生太郎副総理は、「60・70年安保騒動に比べたら、大したことはない」と国民世論を軽視しましたが、参院審議での野党議員を”ガンバラセタ”のは、前2回の安保闘争になかった”新しい風”だったのです。 18歳で選挙権を得た孫の遥大は、来年の参院選が生まれて初めての投票になりますが、政治の話をさせない公立高校が少なくないとされます。広大付属福山高2だった昭和26年、調印された日米友好条約(サンフランシスコ条約)を、大々的に文化祭で扱う企画メンバーを務めたのは、日本国憲法草案に関与した郷土の偉人・森戸辰男が創立した中高一貫校の新しい校風の下でした。今回のデモの中心的存在の「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)や「安保関連法案に反対するママの会」(子育て世代の会)が、来年の参院選で”衆参ねじり現象”を起こし、成立した「法制」の執行停止処置を可能にすることを切に期待します。