トーマス・フラーの名言:われわれは友なくしても生きていけるが、
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2017年10月7日 - 09:26
隣人なくしては生きていけないfesh.jp/user/action/Y2…
「スキル」の習得は、知識の暗記とちがって、熟練した経験者に親近して「見えざる」教育を受ける過程を必要とする…この徒弟制的な教育は他のあらゆるプロフェショナル・トレイニングに共通する。(弁護士・教師・研究者・特定の新聞記者)徒弟制の永遠性が!(春曙帖)丸山眞男bot
— 丸山眞男bot (@masamaru_bot) 2017年10月6日 - 22:37
780 実に悪意をもって他人を誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って他人を誹る人々もいる。誹る言葉が起っても聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとについても心の荒むことがない(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2017年10月7日 - 08:01
書物とはつねに共作である。というのも、書き手の領分が小さければ小さいほど、神の受容が大きければ大きいほど、書物は価値の高いものとなるからだ。至る所から物事が啓示〔=解明=暴露〕されることを期待しよう。読者から我々の作品が啓示〔=解明=暴露〕されることを期待しよう『パリュード』
— ジッドbot (@Gide_bot) 2017年10月6日 - 20:16
諦観は悪い事かもしれないが、諦観に生きる人々は厳存する。宿命観はいけないかも知れないが、宿命観を強いられる精神の苦痛は厳存する。 (文芸月評Ⅵ)
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2017年10月7日 - 08:05
「無限に多くのけなげな行為も、目撃者がないために、認められずに消え去らねばならないのである」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2017年10月6日 - 22:14
「市場による全ての個人を超えた非人格的な規律によって支配された秩序を選ぶか、それとも少数の個人の意思によって支配される道を選ぶのか、この二者択一以外どのような可能性も我々にはない。」(ハイエク)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2017年10月6日 - 20:15
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