また「文書」笑笑。書いた人、書いた日付がないとなんともいえねえな笑。怪文書との識別ができない→獣医学部の「照会資料」、文科省に存在 愛媛文書と合致:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASL6D…
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2018年6月13日 - 21:11
最高の賢者たちよ、君たちの危険、言い換えれば善と悪との終末は川から来るのではない。あの意志そのものに潜んでいるのだ。常に生み続けていく、尽きることのない生の意志に。"ニーチェ「ツァラトゥストラ」"
— ニーチェ「ツァラトゥストラ」bot (@Zara__bot) 2018年6月14日 - 10:19
つまり理論とは、理性が道に迷わないように、対象の全体を明るく照らし、誤謬のためにはびこる雑草を除去し、ものごとの相互関係を示し、重要なものとそうでないものとを区別すべきものである。(第八章第一章)
— クラウゼヴィッツbot (@Carl_Clausewitz) 2018年6月14日 - 10:24
「個人化」の本質は、人間の「アイデンティティ」が「所与」のものから「課題」へと変わるというところにある―それはまた、行為者に、その課題を遂行することの責任やその遂行の帰結についての責任を負わせるということでもある。(『個人化社会』)
— ジグムンド・バウマンbot (@Bauman_Zygmunt) 2018年6月14日 - 10:19
天才と狂人との差は紙一重だと、ロンブローゾは申しているわけですが、天才とは、「狂気」が持続しない狂人かもしれませんし、狂人とは「狂気」が持続している天才かもしれませぬ。―「狂気について」
— 渡辺一夫bot (@watanabekazuo_b) 2018年6月14日 - 10:18
あまりに従順すぎるということは、自然に見えるが実は悪徳で、危険なことでもある。"パスカル「パンセ」"
— パスカルbot (@pascal___bot) 2018年6月14日 - 10:20
人間というものは自分を守ってくれなかったり
— 君主論~マキャベリBOT~ (@bot_Machiavelli) 2018年6月14日 - 10:21
誤りを正す力もないものに対して、忠誠であることはできない
我々は、事物を知覚し、事物に関して互いに理解し合い、事物の中でしっかりと結び合わされている。そして「自然」というこの礎石のうえに、我々は様々な科学を築き上げているのだ。セザンヌが描こうとしたのは、このような根源的世界にほかならない。『セザンヌの疑惑』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) 2018年6月14日 - 10:20
政府から補助金をもらって政権批判をするなという愚論があるが、日本では政党にも補助金を出している。国庫からの補助金が政治的な意味でのひも付きでないことは、これだけで明らか。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2018年6月13日 - 14:45