367 名称とかたちについて「わがもの」という思いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることのない人、彼こそ修行僧と呼ばれる(ダンマパダ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年4月8日 - 08:01
「民衆はいつも瞬時に判断しなければならず、もっとも人目を引く対象に惹かれざるをえない。このため、あらゆる種類の山師は民衆の気に入る秘訣を申し分なく心得ているものだが、民衆の真の友はたいていの場合それに失敗する。」――トクヴィル
— リアリズムと防衛のBOT (@ria_bou_bot) 2018年4月8日 - 12:03
「人間の判断力は、世間と交わることから驚くべき明察を得ることができます。われわれは皆、自分の殻に閉じこもり、こり固まって、自分の鼻先ぐらいの短い視野しかもっておりません。(1/2)」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2018年4月8日 - 08:14
いろんな才能だってその人にしかない味が出せるのが最高だろう。日本の昔の芸人などで、芸が好きでその道に入ったものの、不器用で才能がないと言われ続け、それでも芸から離れられずにいるうちに、ふと気づいてみると、他のだれとも違った味を持った名人と言われるようになっていた、なんて話がある。
— 一刀斎_森毅教授の名言_bot (@moritsuyoshibot) 2018年4月8日 - 08:37
他者。人間ひとりびとり(自分自身の似像)をひとつの牢獄であると想像し、そこにひとりの囚人がまわりの宇宙全体とともにおしこめられているさまを見ること。
— Simone Weil (@simoneweil_bot) 2018年4月8日 - 12:03
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