結果はゼロだった。だが僕の性格は変わっているので、この失敗が反って快かった。 あらゆる悔恨の奥には、耳の有る者の為には「これも経験さ」という言葉が潜んでいる。(…)少なくも、別種のものであれかしらと願う様に成り、喝采の量より、質が大切だと信じるに至った『一粒の麦もし死なずば』
— ジッドbot (@Gide_bot) 2018年2月3日 - 23:16
782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向って、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、彼は「下劣な人」である、と真理に達した人々は語る(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年2月3日 - 23:01
考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思えるからだ。 (良心)
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2018年2月4日 - 08:05
「学校教育問題は社会保障制度問題と同様に、権威主義的な哲学や社会主義哲学にみられるあの共通の要素によって影響を受けてきた。貴族主義的で権威主義的なプロシャや王政フランスが、教育に対する国の管理を開拓した先駆者だった。」(フリードマン)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2018年2月4日 - 06:15
「そして死は、わたしの目から光を奪い去り、この目がけがしていた日の光に、澄んだ清らかさをとりもどさせることでしょう……」どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られるものではなくなることによって、完全に美しくなれますように。
— Simone Weil (@simoneweil_bot) 2018年2月4日 - 08:03
「私は不徳義漢で権謀術数の徒であると見られているが、実は物に動じないで人間を見下していただけなのだ」C.タレーラン(仏外相)
— 外交官の語録BOT (@Diplomacy_bot) 2018年2月4日 - 02:18
「似非経済学者と政治家は、政府による規制政策の不快な結果が、全て『資本主義』の所産であると信じさせたいのである。」(ミーゼス)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2018年2月4日 - 10:15
物質の本質的な属性がその質量であり、その慣性であるなら、そして物質の慣性が実在に於いては物質に属するものでないなら、質量はE=mc²によってエネルギーに変換されるものであるから、物質は存在しない、恒常的に存在しているのはエネルギーである、と結論できるだろうか?
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月4日 - 21:48
数学は無限を扱う科学である。-ヘルマン・ワイル
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月4日 - 21:53
如何なる哲学を選ぶか、は如何なる人間になるか、に由りて定まる。-フィヒテ
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年2月4日 - 22:42
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