(4)彼らは言う「見たまえ、スピノザ、デバロー、ボアンダンの徒を。彼らは汎神論に打撃を与えるよりも、むしろそれを飾った使徒ではないか!この連中の健康の続いた間が彼らの不信仰の尺度であった。実際情熱がその道具である肉体と共に衰えるが早いか、無神論を放棄しない者は数えるほどもない」
— ラ・メトリ (@MettrieJP) 2018年3月30日 - 05:07
ニヒルがどうのこうのと言ってる人は、不思議にみな人間が甘いのである。虚無は晴着であり会釈であると言ったあんばいで、まず信用しないほうが無事だと僕は思っている。心の底に不気味な虚無を隠しているという様な人は稀れである。 (文芸月評XII)
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2018年3月30日 - 08:05
259 多くを説くからとて、それゆえに彼が道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道から外れることのない人、かれこそ道を実践している人である(ダンマパダ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年3月30日 - 08:01
剣を使わずに思慮で勝つのも、総司令官の力量ではないか。ガイウス・ユリウス・カエサル
— 古代ローマ名言集 (@RomensWord) 2018年3月30日 - 08:03
芸術は―その内容よりしても、形式よりしても―精神に対して真の自覚を促す最高の手段ではない・・・芸術創造と芸術作品の特殊性は、もはやわれわれの最高の要求を満たし得ない・・・思惟と反省は芸術を追い越した。-ヘーゲル
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年3月30日 - 11:04
美が認識される限りにおいて最も高次の最も完全なる客観化を示すのが、すなわち人間的美である。-ショーペンハウエル
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年3月30日 - 11:08
あるものが美しいということは、それが、われわれの美的観照の対象であるということである。・・・それは、理性の原理より独立せる個物の観照である。-ショーペンハウエル
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年3月30日 - 11:12
芸術家は、われわれに、世界を眺める眼を貸してくれる・・・芸術は、すべて存在するものの最高度の開花である。-ショーペンハウエル
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年3月30日 - 11:15
深い歓びは、静寂に席をゆずる。絶対至上の美は虚無に似たものとなる。美学(エステティーク)は神秘(ミスティーク)に移行し、自らの中に意志否定を見た人間は、涅槃(ニルヴァーナ)の中に沈潜し得ることになる。ユイスマン
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年3月30日 - 11:25
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