への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

懐かしい神田駿河台と母校

2024年08月13日 | 古い写真

奥さん  「えっ!? 御茶ノ水?

への次郎 「そう。駅を出たところ

 

古い写真を整理していたら、セピア色になった懐かしい写真が出てきました。

 

国鉄御茶ノ水駅聖橋口を出て、交差点を渡ったところです。

左端に地下鉄千代田線新御茶ノ水駅の入口があります。季節は

 

このあたりは神田駿河台といって、高台になっています。

道なりに下っていくと、向かい側にニコライ堂が見えてきました。

 

日本最大の正教会の大聖堂です。

ニコライ堂の真下の道、数えきれないほど歩きました。

 

この先の道は、緩いカーブになって下っていきます。

日曜日の朝なのでしょうか、駅の近くなのに人がほとんど写っていません。

 

緩いカーブを曲がりきったところです。右前方の建物は、日大理工学部校舎です。

道路をよく見ると、一部が凍っています。薄っすらと、雪でも降ったのか。

 

手前が日大理工学部の校舎ですが、同じ高さの向こうの建物、

日大ではありません。母校です。母校の5号館です。

 

手前が5号館、その向こうは中央図書館

5号館の右並びには、4号館大講堂・3号館。さらに進むと、明治大学があります。

 

中央図書館です。右隅に、ちらっと見えるのは、

4号館でしょうか。

 

中央図書館の左奥に見えるのが1号館

 

1号館の奥には、中庭を囲むようにコの字型をした2号館がありました。

目の前の道路を向こうに渡ると、

 

そこが母校の正門。母校とは、中央大学です。

この日、正門は閉じられていたんですね。

 

写真は、ここで終わっていました。

 

正門が閉じられた最後の写真、じっと見ていたら、なんとなく思い出してきました。母校の校舎の解体が始まるという新聞記事を見て、最後の姿を見に行ったことがあります。その時の写真でしょう。時期は、1978年の2月か3月。

 

 

人生で一番自由な時でした。その時期を過ごした母校、今ここにはありません。学内の反対を押し切り、八王子に移転しました。しかし移転から半世紀もしない2023年、一部の学部を都心に戻しました。思うにこの八王子移転、失敗でした。

母校の発展のためには、残りの学部も早く都心に戻さなければいけません。しかし、どこに広大な土地があるのでしょうか。移転を決定した当時の経営陣、眼力がありませんでした。

 

奥さん  「懐かしい姿だね

への次郎 「どうなったかなぁ、跡地