平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

すーさんと船場吉兆の社長は藤原銀次郎翁に学ぶべし

2007年11月22日 | 経済・マネジメント
親愛なるアッティクスへ

昨今、とかく、世間を騒がせている船場吉兆ですが、あれは、ちと、酷いですね。
酷いというのは、やったことではなく(あんなの今さら驚きませんよ。)、社長が責任逃れをしようとしていることです。
仮に、現場が勝手にやったという彼らの主張が正しいとしても、社長には現場で行われていることを知らなかったという責任があると思います。
とかくTOPへは、耳当たりのいい情報しか上がってこなくなることが多く、だとすれば、彼ら経営陣は、知らなかったというのならば、それに、何らかの対策を立てていなければならなかったといえるでしょう。

この点では、であり、それは、一代の製紙王・藤原銀次郎翁の話が思い出されます。
翁がまだ王子製紙の専務だったころ、苫小牧工場再建を託されたことがあったとかで、このとき、翁がまず手はじめに行なったことが、工場の抜き打ち調査でした。
以下、老財界記者・故三鬼陽之助翁の著書によると、
『あらかじめ日時を工場長に連絡して、それより二、三日まえに、極秘裏に東京を出発、現地に現われる。そして、一見土方風に顔をきたなくし、つけひげをつけ、ハンチングを深くかぶり、くまなく工場内を巡視する。すると、工場内は乱雑で、ときには禁煙の札のかかっている付近で平然とタバコを吸っている。藤原は、そしらぬ風をして、その場所、時間をメモする。ところが、二、三日後、専務として工場に行くと、見ちがえるように工場内は整頓され、タバコを吸っている不届者は一人もいない。工場長も、「製紙工場として、なにより火災に注意、したがって当工場では、禁煙個所では一人たりとも喫煙する者はいない」と胸を張る。そこで藤原はおもむろにメモを取り出し、工場長に厳重戒告したのである。その結果、苫小牧工場は藤原の不在中でも秩序が維持され、おおいに生産が上がったのである』と。
船場吉兆に限らず、雪印、不二家、赤福・・・、何をか言わんや・・・でしょう。
で、これを聞いて、思い出したことがあります。

以前、業界の旅行でどこやらへ行ったときのこと。
朝昼夜朝昼と飲みっぱなしの旅行ですから、「お疲れでしょう」からと貸し切りバスの中でのお休みタイムに、起きている人のため・・・ということで、映画・「釣りバカ日誌」のビデオが上映されたことがありました。
元々、私は、この映画は原作マンガでは、連載開始当初より、よく読んでおりましたが、映画はあまり、興味がありませんでしたので、見るとも為しに見ていたのですが、その中で、非常に印象に残っているシーンがありました。

物語の中で、三国廉太郎扮する大会社の社長である「すーさん」が勘違いから失踪する・・・というユーモラスな場面だったのですが、失踪後、すーさんはアルバイトである会社に就職したところ、入社初日から、連れて行かれたところが自分の会社の清掃業務・・・。
大企業の社長だから、一々、出入り業者の名前まで知らないし、末端の社員の方も自分の所の社長の顔を知らない・・・。
(実際、かつてのダイエー中内 功氏は、「俺は、この子たちとは顔も合わせないままで終わるだろう。だから、せめて、こうやって、写真だけででも会っておきたいと思ってね」と言って自分の会社の女子社員の顔写真を見ていたとか。)
でもってそこで、すーさんが目にしたものは、上役には媚びへつらい、その分、下請けに威張りちらし、マージンという名の「袖の下」を要求しようとする社員の姿・・・。
何だか、私には笑えないシーンでしたね。

世の大社長と名が付くお方ほど、実際、こういう目にあってみるべきだと。
「パートが勝手にやったこと」なんていうくらいなら、なおさらだ・・・と。
如何でしょうかな、御同輩・・・。

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